読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【31】大嘗祭


にいなめとおおなめ

新嘗やきのふの初穂をさめおきて けふ神酒たまふ雲の上人
(年中行事歌合)

 

旧暦十一月の第二の卯(う)の日の夜、
天皇はその年の稲の初穂を皇祖神に捧げて神事を行い、神と共食します。
翌日の辰(たつ)の日、群臣を招いて節会(せちえ=宴会)が開かれ、
酒饌(しゅせん=酒と食べ物)がふるまわれます。
これが上記の歌の新嘗祭(にいなめまつり/しんじょうさい)です。

 

新嘗祭は毎年行われますが、新天皇が即位後最初に行うものを
大嘗祭(おおなめまつり/だいじょうさい)と呼んで区別しています。

 

新嘗祭と大嘗祭は基本は同じです。
しかし新天皇は大嘗祭を行うことで
正式に皇位継承が完了するとされたため規模が大きくなり、
平安時代に入るといっそう厳格荘厳な儀礼に変貌したといわれます。

 

大嘗祭は足かけ七か月にわたって行われます。
まず即位の年の旧暦四月に初穂を献上する国を卜定(ぼくじょう)。
八月に大祓(おおはらえ)を行い、九月には抜穂(ぬきほ)。
十月に新天皇の御禊(みそぎ)があり、十一月に入ると
悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)の設営が開始されます。
これらは神事が行われる仮設の建物です。

 

同月第二の寅(とら)の日に鎮魂祭があり、
卯(う)の日の夜から翌朝にかけて大嘗宮の儀が行われます。
夜が明けて辰の日に節会、巳(み)の日にも節会があり、
午(うま)の日に豊明節会(とよのあかりのせちえ)が催されて
一連の儀礼が終了します。


不謹慎な参列者たち

儀礼の中心となる大嘗宮の儀は
秘儀とされていて見ることができません。
そのためか歌に詠んだ例が見当たらないのですが、
付随儀礼である豊明節会は舞姫たちを見られるというので、
遍昭(へんじょう 十二)など幾人もが題材にしています。

そんな中、こういう歌を詠んだ人も。

 

《詞書》
大嘗会の御禊に物見侍りけるところに
わらはの侍りけるをみて又の日つかはしける

 

あまた見しとよのみそぎのもろ人の 君しも物をおもはするかな
(拾遺和歌集 恋 寛祐法師)

 
豊(とよ)の御禊(みそぎ)にお仕えする大勢の人を見たけれど
あなたばかりが気になってならないのです

 

詞書にある御禊(ごけい)は大嘗祭前の十月に
新天皇が賀茂川の河原などで行う禊(みそぎ)のこと。
歌中にある豊の御禊も御禊のことです。

 
童(わらわ)はもちろん子どものことですが、潔斎の必要な神事には
元服や裳着(もぎ)を済ませていない子ども(多くは女子)が奉仕し、
神に近い場所で重要な役目を担ったのです

 

神聖な役目であり、
それを見物に行って恋してしまったというのですから、
不謹慎と言われてもしかたないでしょう。

 

新嘗祭・大嘗祭のルーツは稲作民族の収穫祭であり、
中国南部や南アジア各地にもその原形が確認できるそうです

 

家族単位、集落単位で行っていた質素な祭でしたが、
それを取り入れた古代王権は天皇の支配を象徴する宮廷祭祀と位置づけ、
さらに歌舞音曲をともなう大規模な宴会を付加したのです。

 
舞姫や童に恋した歌人たちは、
そんな歴史に思いを馳せていたでしょうか。

※新嘗祭、豊明節会については旧バックナンバー《176》参照。