続『小倉百人一首』
あらかるた
【32】能因と馬
実体験だった白河の秋
能因(のういん 六十九)の和歌をもとに、
江戸時代の俳人がこのような句を詠んでいます。
〇能因に くさめさせたる秋はこゝ 大江丸
〇うその旅して 能因の暑さかな 也 有
二人がもとにしたのはこの歌です。
都をばかすみとともに立ちしかど 秋風ぞふく白河の関
(後拾遺和歌集 羈旅 能因)
春霞の立つころに都を発(た)ったけれど
白河の関に着いた今はもう秋風が吹いていることよ
大江丸(おおえまる)は陸奥(みちのく)の旅で白河の関を訪れており、
能因はここで秋風の涼しさにくしゃみをしただろうと。
也有(やゆう)が「うその旅」と言っているのは、
能因が白河に行かずにこの歌を詠んだと伝えられているから。
能因は白河に行ったことにするため、
夏の間ずっと留守のふりをして過ごしていたというのです。
都の暑い夏を外出せずに耐えていたのかと、
也有はからかっているのです。
実際のところ、能因は陸奥に二度ほど旅をしていました。
「行ったふり作戦」はだれかの作り話だったのです。
諸国行脚は修行ではなかった?
家集『能因法師集』は上記「都をば」の次に
この歌を載せています。
きみがためなつけし駒ぞ みちのくのあさかの沼にあれて見えしを
(能因法師集巻中)
あなたのためになつかせた馬ですよ
陸奥の安積沼(あさかぬま)あたりで暴れていたのを
陸奥は馬の産地として有名でした。
安積沼は白河の先に実在した沼の名です。
馬をなつけたのが能因自身かどうかは不明ですが、
家集には馬に関連する仕事をしていたと思われる歌が
いくつも見られます。
あしのやのこやのわたりに日は暮れぬ いづち行くらむ駒にまかせて
(能因法師集巻中)
芦屋(あしや)の昆陽(こや)のあたりで日が暮れてしまった
馬の歩みにまかせて わたしはどこへ行こうというのだろう
作者はこのとき摂津に向かっていました。
芦屋(現在の兵庫県芦屋市)あたりで日が暮れたと言っていますが、
ここでも馬を連れています。
葦火焚く長柄の浦をこぎわけて いくとせといふに都みるらむ
(能因法師集巻下)
葦火(あしび)を焚いているのが見える
長柄(ながら)の河口を漕ぎ渡り 何年ぶりに都を見ることだろう
葦火が焚かれるのは秋の終わりごろ。
摂津の長柄川まで来れば都は近いわけで、
能因は何年かぶりに都で正月を迎えたことでしょう。
能因の職業については確証がないのが実情ですが、
馬にかかわりながら諸国をめぐり、
数年にわたる旅を繰り返していたことはまちがいなさそうです。