続『小倉百人一首』
あらかるた
【33】下衆の恋
主人公は架空の人物
謙徳公(けんとくこう)は貞信公(二十六)の孫で、
本名は藤原伊尹(ふじわらのこれただ)といいます。
摂政を務めた政治家ですが歌人として名高く、
百人一首にはこの歌が選ばれています。
あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな
(四十五 謙徳公)
かわいそうだと言ってくれる人はほかに思いあたらず
わが身は(あなたを思いながら)むなしく死んでしまうことでしょう
これは『拾遺和歌集』から採られたもの。
その詞書(ことばがき)は簡略なものですが、
家集『一条摂政御集』に収められた同歌には長い詞書があります。
それによると、この歌は下級官吏倉橋豊蔭(とよかげ)なる人物が
何年も返事をしてこない女に対して詠んだもの。
豊蔭は伊尹が作り上げた架空の人物で
「くちをしきげす」、つまり
身分の低い残念な者という設定になっています。
げすは下種/下衆と書き、身分の低い者を指す言葉でした。
対語は上種/上衆(じょうず)です。
下品、下劣、無教養な人物を身分にかかわらず
下衆と呼ぶようになったのは近世からなので、
豊蔭は身分は低くとも下品な男と決まっているわけではありません。
物語化された作者自身の恋
豊蔭が歌を贈った女は
『一条摂政御集』によれば「豊蔭にことならぬ女」でした。
おなじように身分の低い女だったのです。
女はようやく返事をよこしましたが、
なにごとも思ひ知らずはあるべきを またはあはれとたれかいふべき
(一条摂政御集)
何事も知らなければそんなこともあるでしょうが
今さらかわいそうなんてだれが言うものですか
同情してもらおうとしたのにこのありさま。
では豊蔭はモテない男だったのかというとさにあらず、
家集の中で豊蔭は貴賤さまざまな女性との恋を重ねています。
そしてその数々の恋は作者伊尹の実体験でした。
豊蔭が関係を結んだ女たちは実在の人物だったというのです。
これを調べて突き止めた人がいることに驚きます。
それはさておき、なぜ伊尹は架空の人物を設定したのでしょう。
みずからの恋愛遍歴を『伊勢物語』のような
歌物語に仕立てようと思ったのでしょうか。
それとも恋愛遍歴が派手すぎるのを自覚していて、
他人事に見せて非難をかわそうとしたのでしょうか。
しかし主人公豊蔭は多情ではあっても
恋に命がけなわけではなく、『伊勢物語』のような
スリルも華やかさもファンタジーもありません。
また伊尹自身も正妻に何度も家出されてしまうなど
家庭内のトラブルが後を絶たず、
政治家としてより「いみじき色好み」の歌人という、
「くちをしき」評価を後世に残すこととなっています。