読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【34】その後の清少納言


清少納言鬼の形相

鎌倉時代の説話集『古事談(こじだん)』が
清少納言(六十二)に関する興味深い記事を載せています。

 

清少納言零落之後、若殿上人アマタ同車、彼ノ宅ノ前ヲ渡ル間、
宅ノ體破壊シタルヲミテ、少納言無下ニコソ成ニケレト
車中ニ云フヲ聞キテ、本自棧敷ニ立タリケルガ、
簾ヲ掻上ゲ鬼ノ如キ形ノ女法師顔ヲ指シ出シト云々
駿馬之骨ヲバ買ハズヤアリシト云々

清少納言が落ちぶれて後、若い殿上人が大勢車に同乗して
彼女の家の前を通ったことがあるが、ひどく崩壊しているのを見て、
少納言は悲惨なことになってしまったと車中で語り合った。
桟敷に立っていた清少納言はそれを聞いて簾をかき上げ、
鬼のような尼僧姿をあらわして「駿馬の骨を買わぬつもりか」と
言ったそうである。

 

かつて中宮の寵愛を受けた才女が零落して廃墟同然の家に住み、
鬼のような姿の尼になっていたというのです。

「駿馬(しゅんめ)の骨」の意味を考えると、
これはひょっとして清少納言の就活だったのかも。

 

中国の『戦国策(せんごくさく)』という書物に、
駿馬を求めて手に入らなければその骨を買えという一節があります。
骨にさえ金を払うのだと聞けば
生きている馬にはいくら払うだろうと思われ、
駿馬はすぐに手に入るというのです。

 
ということは、老いた清少納言を雇えば
おのずと若くて優秀な女房が集まってくる。
だからわたしを雇いなさいと…。

清少納言は中宮の没後再就職しなかったと考えられています。
しかし作者は清少納言が漢籍に通じていたことを知っており、
彼女ならこれくらいは言いそうだと思ったのでしょう。


才女落魄の理由

同時期の文芸評論『無名草子(むみょうそうし)』は、
『枕草子』の論評につづけて作者の消息をこのように記しています。

 

めのとの子なりける者に具してはるかなる田舎にまかりてすみけるに
あをなといふものほしに外にいづとて
昔の直衣姿こそ忘れねとひとりごちけるを見侍りければ
あやしの衣着てつゞりといふもの帽子にして侍りけるこそ
いとあはれなれ

乳母の子だった者に連れられて遠くの田舎に行って住んでいたが、
青菜というものを干しに外に出るといって
昔の直衣(のうし=貴族の普段着)が忘れられないとつぶやく姿は、
粗末な着物を着てつづり(=未詳:ぼろ切れの継ぎはぎか)を
帽子にしていてみじめである。

 

見てきたかのような話を載せているのは『古事談』と同じです。
このような清少納言の零落説話、流浪伝説は
中世に入って増えはじめるのですが、
これは小野小町(九)についても同様です。

 

中世は『方丈記』や『平家物語』に象徴されるように
「無常」「滅び」への関心が高まっていた時代でした。
美女や才女の零落が描かれたのもその反映かもしれません。