続『小倉百人一首』
あらかるた
			【36】西行の礼状
西行を喜ばせた定家の評
西行(八十六)が藤原定家(九十七)に宛てた
  消息(=手紙)が遺されています。
  西行は定家に伊勢神宮に奉納する
  『宮河歌合』の判詞(はんし)を依頼しており、
  この消息は判詞の書かれた歌合が返送された際の礼状です。
  ※旧バックナンバー【175】参照
判詞は歌合の歌の優劣を判定し、評価を記したもの。
  西行は「神の御めぐみうたがひおぼしめすべからず候」と喜び、
  「やすむやすむ二日にみはて候ぬ」と書いています。
  二日かけて休み休み読んだというのは高齢だったからでしょうが、
  判詞を熟読したという意味もあるでしょう。
  西行は文中で具体的に九番の歌の判詞に触れています。
  九番はこのような二首の番(つがい)でした。
九番
     勝
    世中を思へばなべて散る花の 我身をさてもいづちかもせん
    
    花さへに世をうき草に成にけり 散るをおしめばさそふ山水
《判詞》
    右歌、心詞(ことば)にあらはれて姿もをかしう見え侍れば
    山水(やまみづ)の花の色、心もさそはれ侍れど
    左歌、世中(よのなか)を思へばなべてといへるより
    終りの句の末まで句ごとに思ひ入りて
    作者の心深く悩ませる所侍れば、いかにも勝侍らん
 
右の歌は思いが言葉に表われて歌の姿が美しいと。
  散った花が渓流に誘われて流れていくようすも
  世を憂きものと思う心に重ね合わされて惹かれるけれど、
  左の歌は初句から結句まで作者の思いがこもっているというのです。
 
散る花に等しいわが身はいったいどちらへ行けばよいのか。
  この条(くだり)を定家が「心深く悩ませる」と評したことを
  西行は新しいタイプの判詞だと言い、
  「めでたく覚え」たと感激しています。
年齢を超えた交友
 西行は定家より四十四歳年長。
  定家は判詞を書き終えた文治五年にまだ二十八歳でしたから、
  ずいぶん若い歌人に評価を仰いだことになります。
  定家にしても西行ほどの大歌人の歌を、
  それも多くの先輩たちをさしおいて評することに
  ためらいがあったようです。
  定家は返送した歌合の最後にその旨を記し、
  このような歌を書きつけました。
君はまづ憂き世の夢の覚めぬとも 思ひあはせむ後の春秋
    あなたはすでに憂き世の夢が覚めて(=悟って)おられても
    今後の春秋(=年月)これらのことを思い出されるでしょう
西行の返し
春秋を君思ひ出でば 我は又花と月とにながめおこせん
    今後の年月あなたがわたしを思い出してくれるなら
    わたしはまた花と月とを眺めて歌を詠みましょう
  挨拶の歌を交わしただけとも言えますが、
  西行がみずからを花と月の歌人と自覚していたのがわかり、
  興味深い贈答歌になっています。
