続『小倉百人一首』
あらかるた
【41】贈答歌の作法(前)
贈られて返す贈答歌
贈答歌は複数の、おもに二人のあいだでやり取りする歌のことで、
贈答という言葉から連想するような
あらたまった贈りものではありません。
お返しをするのは似ていますが、
年始や中元、歳暮、結婚、葬儀といった行事とは関係なく、
愛情表現や感謝、依頼や謝罪などの目的で贈られ、
それに対する返歌(=返事の歌)が返ってくれば贈答が成立します。
たとえば紀貫之(きのつらゆき 三十五)と友人との贈答歌。
花も散り郭公さへいぬるまで きみにもゆかずなりにけるかな
(後撰和歌集 夏 貫之)
返し
花鳥の色をも音をもいたづらに ものうかる身はすぐすのみなり
(後撰和歌集 夏 藤原雅正)
貫之の歌は桜が散り、ほととぎすがいなくなってしまうまで、
あなたに会いに行けませんでしたというお詫びの内容です。
雅正(まさただ)は花の姿、鳥の声もあなたがいないから楽しめなかった、
つまらなく過ごしていたんですよと返答しています。
貫之は使いの者に歌を届けさせました。
雅正はその使者を待たせておいて返歌を詠んだと思われます。
返歌はすぐに返すのが礼儀だったからです。
相手の歌を活かす
次は藤原通俊(みちとし)と藤原公実(きんざね)との贈答歌です。
さし昇る朝日に君を思ひ出でむ かたぶく月に我を忘るな
(金葉和歌集 離別 中納言通俊)
返し
朝日とも月ともわかず 束の間も君を忘るゝ時しなければ
(金葉和歌集 離別 春宮大夫公実)
父親の経平(つねひら)に連れられて筑紫へ下っていく
若き日の通俊の歌です。
自分は朝日を見てあなたを思い出すから、
あなたは沈んでいく月を見てわたしを忘れないでくれと。
都は筑紫(=九州)から見れば東にあたるのでそう詠んだのですが、
公実は、朝日も月も関係ないでしょう、
わたしは一瞬たりともあなたを忘れないのだからとなぐさめています。
返歌に通俊の歌の言葉がいくつも詠み込まれていますが、
これも返歌の理想とされていたようです。
こんな例もあります。
雲の上はありし昔に変はらねど 見し玉だれの内やゆかしき
返し
雲の上はありし昔に変はらねど 見し玉だれの内ぞゆかしき
これは謡曲『鸚鵡小町(おうむこまち)』にあるもの。
陽成院(ようぜいいん 十三)に仕える大納言行家(ゆきいえ)が、
百歳になって近江の関寺あたりに住んでいた
小野小町(九)を訪ね、院の歌を伝えました。
雲の上(=宮中)は昔と変わりはないが、
かつて見た玉簾(たますだれ)の中の様子を知りたくはないかと。
小町は第五句の「や」を「ぞ」に替えただけで返歌としました。
これだけで「知りたくはないか」が
「知りたいと思います」に変わったのです。
実話ではありませんが、見事な返歌になっていますね。