読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【42】贈答歌の作法(後)


隣人同士の贈答歌

重陽の節供の前日、藤原雅正(ふじわらのまさただ)は
隣人だった伊勢(十九)のところに使いをやり、
庭の菊の花に綿を被せさせてもらいました。

 
これは被綿(きせわた)というおまじないで、
九月九日の朝、菊の露を含んだ綿で肌を拭くと
若返りや長寿の効果があるというもの。

翌日の朝、伊勢から折られた菊とともに綿が返され、
そこにはこのような歌が添えられていました。

 
《詞書》
となりに住み侍りけるとき、九月八日、
伊勢が家の菊に綿をきせにつかはしたりければ、
またのあした、折りてつかはすとて

数しらずきみが齢をのばへつゝ 名だゝる宿の露とならなん
(後撰和歌集 秋 伊勢)

返し

露だにも名だゝる宿の菊ならば 花のあるじやいくよなるらん
(後撰和歌集 秋 藤原雅正)

 
数えきれないほどあなたの齢(よわい=寿命)を延ばして、
名高いお宅の露となりましょう。
伊勢は露がみずから詠んだかのような歌をつけています。

 
雅正は、少しであれ名高いあなたの家の菊の露ではありませんか。
分けていただいたわたしはもちろんのこと、
花の持ち主であるあなたの寿命はどれほど延びるのでしょうと。

 
隣人同士で持ち上げ合っていますが、伊勢は言わずと知れた有名歌人。
雅正は父親が有名歌人の兼輔(かねすけ 二十七)でした。
雅正の孫は紫式部(五十七)ですからまさに名だたる家柄ですが、
このとき伊勢は、さすがにそこまでは予見していなかったでしょう。

 
上記のようにお世辞にはお世辞で返し、
冗談には冗談で返したという例が数多くあります。

※被綿についてはバックナンバー【3】参照


敦忠の強弁

最後はこんなはずではなかった、
というめずらしい贈答歌の例です。

 

《詞書》
大輔がざうしに敦忠の朝臣のものへつかはしけるふみを
もてたがへたりければ、つかはしける

みちしらぬものならなくに 足曳の山ふみまどふ人もありけり
(後撰和歌集 雑 大輔)

 

大輔(たいふ)は醍醐天皇の皇后に仕えていた女房。
その曹司(ぞうし=支給されていた部屋)に、
藤原敦忠(あつただ 四十三)がよそに宛てた手紙が届きました。

道を知らないわけでもないでしょうに、
山道を踏み惑う(=文の届け先を間違える)人がいるんですね。
大輔はからかいの歌を詠んだのです。
山を持ち出したのは「踏み」と「文」を掛詞にするためです。

 
敦忠はこう答えました。

しらかしの雪も消えにし あしひきの山路をたれかふみまよふべき
(後撰和歌集 雑 敦忠朝臣)

白樫に積もった雪も消えているのだから、
どうして間違えたりするでしょうかと。
つまり、文はあなたに宛てたものだというのです。
 
手紙を預かった従者(ずさ)が届け先を誤ったのですが、
敦忠が手違いを認めなかったのは意地。
そしてどの女性にも同じような手紙を送っていたためで、
相手が大輔であってもかまわないと思ったからでしょう。