読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【44】雀になった中将(後)


のんきな陸奥赴任

藤原実方(さねかた 五十一)は天皇に「歌枕見て参れ」と言われ、
陸奥(みちのく)に左遷されたというのが通説(前話参照)です。
しかしほんとうに左遷だったのでしょうか。
本人はこんな歌を詠んでいます。

 
やすらはで思ひ立ちにし東路に ありけるものかはゞかりの関
(後拾遺和歌集 雑 藤原実方朝臣)

ためらいもせずその気になってやって来た東路(あずまじ)に
まさかはばかりの関があったとはねぇ

 
「はばかりの関」は東山道に実在したらしく、
『枕草子』にもその名が出てきます。
実方の歌は、ためらいなく赴任してきたら
ためらい(¬=はばかり)という名の関があったというもので、
左遷された人物が詠んだようには思えません。

 
藤原公任(きんとう 五十五)から餞別の馬具を贈られた際も、
実方はこのような歌を返しています。

言づてん都のかたへゆく月に 木のしたくらく今ぞまどふと
(新千載和歌集 離別 藤原実方朝臣)

都の方角に行く月に言づてしましょう
旅行く道の木の下が暗いので今は迷っていますと

 
公任から贈られた馬具は下鞍(したくら)といって、
鞍と馬のあいだに敷いて垂らすものでした。
心細げな歌ですが「したくら」の四文字を歌に詠み込んでおり、
実方は余裕綽々の言葉遊びを楽しんでいるのです。


実は好かれていた実方

大江匡衡(おおえのまさひら)は
陸奥の実方にこのような歌を贈っています。

 

都にはたれをか君は思い出づる 都の人はきみをこふめり
(後拾遺和歌集 雑 大江匡衡朝臣)

都の誰のことをあなたは思い出していますか
都の人はみなあなたを恋しがっているようです

 

匡衡は赤染衛門(あかぞめえもん 五十九)の夫で、
平安中期の代表的な漢学者です。
他人事のような詠みっぷりですが、都では誰よりこのわたしが
あなたを恋しがっているというのです。

匡衡の思いは実方に通じました。

 
忘られぬ人の中には忘れぬを 待つらん人の中に待つやは
(後拾遺和歌集 雑 藤原実方朝臣)

忘れられない人の中でもあなたのことは忘れませんが
わたしを待っているという人の中でもあなたは
とくに待っていてくれるのでしょうか

 
情のこもったやり取りからは
実方の好もしい人物像が浮かび上がってきます。

 
状況が一変したのは没後二百年ほど経ってから。
鎌倉時代になって多くの説話集が書かれるようになると
実方は悪役になり、陸奥赴任は左遷だったことにされたようです。

 
説話は純粋な創作文学ではなく、口承や伝説をもとにした教訓話。
実在の人物であっても史実とは無関係に物語化され、
何らかの教訓が導き出されます。
『十訓抄(じっきんしょう)』は実方と行成の一件を
このように締めくくっています。

 

一人は不忍によりて前途を失ひ
一人は忍信するによりて褒美にあへたるたとへなり

我慢の足りない実方に対し、
耐えた行成は出世という褒美を得たという教訓。
本人たちが知ったらどう思うでしょう。