続『小倉百人一首』
あらかるた
			【45】たぐり寄せる恋
糸を繰る
『拾遺和歌集』にこのような歌がありました。
 
 花見にはむれてゆけども 青柳の糸のもとにはくる人もなし
    (拾遺和歌集 春 よみ人知らず)
    花見には群れをなして行くけれど
    芽吹いた春の柳の糸のような枝の下に来る人はいない
  柳にだって風情があるじゃないかというのです。
  通釈としてはそれでよいと思いますが、作者は
  なぜ人は華やかなものばかり愛でるのか、
  おなじところにばかり集まるのか、
  疑問を抱いていたのかもしれません。
 
 ところで、この歌の「糸」と「くる」は縁語になっており、
  「繰る(=たぐり寄せる/引き寄せる)」の「くる」は
  「来る」との掛詞です。
 
 五月まつなにはの浦の郭公 あまのたくなはくり返しなけ
    (続拾遺和歌集 夏 能因法師)
    五月(さつき)を待つ難波の海辺のほととぎすよ
    漁師が栲縄(たくなわ)を繰るように繰り返し鳴くがよい
 
能因(のういん 六十九)が四月の終わりごろ
  津国(つのくに=摂津)を訪れて詠んだという一首。
  栲縄は楮(こうぞ)などの繊維で作った縄だそうで、
  「くる」を導くために用いられています。
つる草を繰る
「くる」の縁語になるのは糸や縄だけではありません。
  源実朝(みなもとのさねとも 九十三)は
  このように詠んでいます。
 わがせこを待乳の山の葛かづら たまさかにだにくるよしもがな
    (金槐和歌集 恋)
    わたしの待つ恋人が 待乳山(まつちやま=真土山)の
    葛鬘(くずかずら)をたぐり寄せたら
    まれにでも来てくれればよいのだけれど
つる草の葛(くず)をたぐっています。
  おなじつる草の真葛(さねかずら)を詠んだ
  藤原定方(さだかた=三条右大臣)の歌に似ていますね。
 
 名にしおはゞ逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな
    (二十五 三条右大臣)
    逢坂山のさねかずらが逢って寝るという名前ならば
    蔓(つる)をたぐって秘かにあなたのもとを訪れたいのだが
 
つる草を繰るのは恋の歌に多いようで、
    つれなきを思ひ忍ぶのさねかづら はてはくるをもいとふなりけり
    (後撰和歌集 恋 よみ人知らず)
    つれないあなたを思って耐えています
    ついにはわたしが訪れることさえいやだとおっしゃるのですね
 
葉がついていたり曲がっていたりして繰りにくく、
  いずれは枯れてしまうのがつる草です。
  くる(=会いに行く)のがむずかしい恋だからこそ、
  くる(=たぐる)のがむずかしいつる草を詠んだのでしょう。
