続『小倉百人一首』
あらかるた
【54】時代を先取りした良暹
対照的な僧侶歌人
百人一首は親子、ライバルなど
関連のある歌人を並べていることがあります。
藤原定家(九十七)が意図的に配列したのでしょうが、
この二人の僧侶を並べたのはなぜなのでしょう。
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり
(六十九 能因法師)
山風が吹いて散らす三室山のもみじ葉は
龍田川の川面を錦のように彩っていることだ
さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮
(七十 良暹法師)
寂しいので庵を出てあたりを眺めてみたけれど
どこも同じように寂しい秋の夕暮れなのだったよ
どちらも『後拾遺和歌集』から採った秋の歌で、
華やかな印象の能因(のういん)と地味な良暹(りょうぜん)という、
明らかに対比を意識したと思われる選歌です。
時代に先んじた良暹
定家が百人一首のもととなる『百人秀歌』をまとめたのは、
時代が中世に入った文暦二年(1235年)頃。
同時期に定家の単独撰によって完成した
九番目の勅撰集『新勅撰和歌集』に示されているように、
歌壇は平明端正な歌が主流になりはじめていました。
鴨長明や吉田兼好に代表される隠者、遁世者の文学が
影響を与えたとも考えられますが、
『新古今和歌集』で大輪の花を咲かせた後、
和歌は静かで内省的な方向に向かっていたのです。
その流れからすると、良暹の「さびしさに」は
中世和歌の歌風を先取りしているように思えます。
二百年近く昔の歌なのに今風であると、
定家は評価したのではないでしょうか。
『詞花和歌集』にはこのような歌があります。
天つ風雲ふきはらふ高根にて 入るまで見つる秋の夜の月
(詞花和歌集 秋 良暹法師)
空を吹く風が雲を吹き払う高い峰で
沈むまでずっと見ていたよ 秋の夜の月を
このとき良暹は念仏のために比叡山に登っていました。
歌はたいへんシンプルですが、
山上で煩悩を吹き払い、沈みゆく月に西方浄土を想う姿を
容易に思い浮かべることができます。
定家はこの歌も好きだったかもしれません。