続『小倉百人一首』
あらかるた
【56】黒髪の手入れ
歌人姉妹の連歌
「ながからむ心もしらず」と黒髪を詠んだ
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ 八十)。
黒髪に関係するこのようなエピソードが伝えられています。
待賢門院のほりかは 上西門院の兵衛 おとといなりけり
夜ふかくなるまでさうしを見けるに
ともし火のつきたりけるに あぶらわたをさしたりければ
よにかうばしくにほひけるを 堀河
ともし火はたきものにこそ似たりけれ
といひたりければ 兵衛とりもあへず
丁子がしらの香やにほふらん
とつけたりける いとおもしろかりけり
(今物語十五段)
待賢門院堀河と上西門院兵衛(じょうさいもんいんのひょうえ)は
ともに源顕仲(みなもとのあきなか)の娘で、姉妹でした。
上記文中の「おととい」という表記は
「おととえ」の転訛したもので、漢字では「弟兄」と書きます。
さて、堀河と兵衛は夜が更けるまで
草子(=綴じられた本)を見ていました。
消えたともし火にさした油綿(あぶらわた)というのは、
香油を浸した綿のこと。灯芯の代わりにしたのでしょう。
油綿はほんらい髪に香りをつけるためのものですが、
代用したら香ばしく匂い、薫物(たきもの)のようだったと。
薫物は香木などをくゆらせて部屋や衣服に香りをつけるものです。
丁子(ちょうじ)は香辛料として知られるクローブのこと。
平安時代は料理用ではなく、香料として用いられていたようです。
兵衛が「丁子がしら」と言っているのは、
丁子のかしら(=先端)の花の部分だけを用いていたからでしょう。
平安時代のヘアケア
『うつほ物語』に女一宮(おんないちのみや)が
「御髪(おぐし)すます」(=洗髪する)様子が描かれています。
まず湯帷子(ゆかたびら)を着せてもらって湯殿(ゆどの)に行き、
侍女たちに数人がかりで髪を洗わせます。
シャンプー剤は泔(ゆする=米のとぎ汁)や
澡豆(そうず=小豆粉)だったそうです。
洗い終わると台の上に横になり、火桶に火を起こして乾かします。
これも侍女たちが髪を広げてぬぐいながら乾かすのですが、
火桶には薫物をくべてあり、これで髪に香りを付けました。
髪は身長ほどの長さがあったので、かなりの時間を要しました。
『源氏物語』などをみると洗髪してもよい日と悪い日があったらしく、
大仕事であることもあって、めったに髪は洗わなかったようです。
日常的なケアは櫛で梳いて汚れをとり、艶を出すことでした。
日本では早くから椿油や丁子油が知られており、
堀河姉妹が油綿に使ったのもこれらの油だったのではないでしょうか。
また枕に香を入れて髪の臭いを消していたそうですが、
米のとぎ汁を保湿に用いたため臭いやすかったのかもしれません。
一方男性の整髪料だったのは美男葛(びなんかずら)でした。
藤原実方(ふじわらのさだかた 二十五)の詠んださねかずらのことで、
樹皮から採った粘着性のある液がポマードの役目を果たしていました。
成人男性は髪を結っていましたから、
男性用という意味で「美男」と名づけたのでしょう。