続『小倉百人一首』
あらかるた
【57】古代日本は浅茅原
野には浅茅の生ふる物
浅茅生(あさぢふ)の小野の篠原 しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
(三十九 参議等)
浅茅の生える小野の篠原ではないが 忍んでも忍びきれない
どうしてこれほどにあなたが恋しいのでしょう
イネ科の多年草、茅(ちがや=茅萱)。
かつては日本中に自生しており、屋根を葺くのにも用いられました。
浅茅生は丈の小さい茅の茂る場所を示し、「小野」に掛かる枕詞。
篠原は篠(しの=笹の類)の茂る野原のことです。
源等(みなもとのひとし)のこの歌について、
江戸時代の注釈書『百人一首改観抄(かいかんしょう)』は
こんなふうに書いています。
野には浅茅のおふる物なれば浅茅生は野の枕詞なり
此小野名所にあらず
野には小さい茅が生えるものであり、
「浅茅生」は「野」の枕詞だというのです。
また「小野」は特定の場所を示すものではないと。
これはそのまま現代に通じる解釈です。
さらにこの歌の本歌については、
古今集に
「あさぢふのをのゝしのはらしのぶれど人しるらめやいふ人なしに」
此歌六帖浅茅の題に人丸歌とあれば これを本歌にてよまれたる也
と記しています。
『古今和歌六帖』の「あさぢ」の項を見てみると、人麻呂作として
「浅茅生の小野の篠原忍ぶとも 妹は知らじな訪ふ人なしに」
という歌があり、『古今和歌集』所収歌と
細部が異なるだけでなく、意味もちがっています。
伝える人がいなくとも知られてしまうだろうという『古今集』の歌。
伝える人がいないから知られることはないだろうというのが
『六帖』の歌です。
本歌に関しては現代の注釈書が正確なようです。
日本は浅茅だらけの国だった?
ところで、『万葉集』は人麻呂家集の歌として次の歌を載せています。
浅茅原小野に標結ふむなことを いかなりといひて君をし待たむ
(万葉集巻第十一 2466)
浅茅の生える野原に標(しめ)を結うような空事(=嘘)を
どんなふうにでも言って君を待つことにしよう
茅が茂る野は人の手の入っていない原野ですから、
そこに標を結う(=境界線を引く)のは無理。
それくらい無理のある嘘をついてあなたを待とうというのです。
第二句の「小野に標結ふ」までが序詞で「むなこと」を導いています。
相手に嘘をついて呼び出すのか、
周囲の人に嘘を言ってこっそり会おうというのか、
おそらく後者でしょう。
『万葉集』にはこんな歌もあります。
浅茅原茅生(ちふ)に足踏み心ぐみ 我が思ふ児らが家のあたり見つ
(万葉集巻第十二 3057)
浅茅原の茅に足を踏み入れて
心のままにわたしの好きな人の家の方を見たよ
この歌も第二句「茅生に足踏み」までが序詞。
「心ぐむ」は心が外に出てしまいそうな状態を言い、
「涙ぐむ」や「角ぐむ」と同様の用法です。
茅生(=茅の生えているところ)に入っていって、
半ば身を隠した状態で好きな人の家の方を見ている。
思いがあふれそうで見ないではいられないのでしょう。
容易に身を隠せる浅茅原、標の結えない浅茅原が、
かつてはありふれていたのかもしれません。