続『小倉百人一首』
あらかるた
			【61】夜をこめて
深まる霧 深まる春
夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
    (六十二 清少納言)
    夜の夜中に鶏の鳴き声をまねてだましても
    決して逢坂の関はあなたを通しませんよ
 
  清少納言の歌の初句「夜をこめて」の「こむ」は
  ものが群れ集まっていたりぎっしり立てこんでいるようす、
  あるいは一面を覆っているさまをいいます。
  夜など、ものではない場合は深まった状態のこと。
 
 清少納言の曽祖父清原深養父(ふかやぶ 三十六)に
  このような歌があります。
    河霧のふもとをこめて立ちぬれば 空にぞ秋の山は見えける
    (拾遺和歌集 秋 清原深養父)
    河霧が麓を覆って立ちこめたので
    空に(浮いているかのように)秋の山が見えましたよ
 
  霧が山の麓を隠して一面に立ちこめています。
  いっぽう藤原顕季(あきすえ)は、
  東路(あづまぢ)のかほやが沼の杜若 春をこめても咲きにけるかな
    (金葉和歌集 春 修理大夫顕季)
    東国のかほやが沼の杜若(かきつばた)は
    春のさかりに(早くも)咲いていることだ
  「かほやが沼」は『万葉集』に出てくる
  上野(かみつけ)の可保夜が沼と思われます。
  春が立ちこめるのもおかしいので、
  春が深まった頃合いを指しているのでしょう。
夜更けに詩情あり
そういうわけで霞も春も「こむ」のですが、
  和歌を見ると「こむ」のは圧倒的に夜が多いようです。
  たとえば俊恵(しゅんえ 八十五)のこの歌、
    夜をこめて明石の瀬戸を漕ぎ出れば はるかに送るさを鹿のこゑ
    (千載和歌集 秋 俊恵法師)
    夜が更けたころ明石の海峡に漕ぎ出していくと
    はるか彼方から(舟を)見送るかのような雄鹿の声がする
  小牡鹿(さをしか)は雄鹿をあらわす歌語。
  雄鹿は秋の夜に妻を恋うて鳴くとされており、
  夜の船出にその哀愁が重なっています。
 
 もう一首忘れがたいのが崇徳院(すとくいん 七十七)のこの歌。 
夜をこめて谷のとぼそに風寒み かねてぞしるき峯の初雪
(千載和歌集 冬 崇徳院御製)
    夜が更けて谷の口に吹く風が冷たくなった
    それでわかるではないか 明日は峰に初雪が降るだろうと
 
「とぼそ」は戸のことですが、「谷のとぼそ」は
  谷の出入り口の狭いところを指します。
  風の勢いが強くなる場所であり、
  その風の冷たさから作者は翌朝の初雪を予想したのです。
  「かねてぞしるき」はあらかじめはっきりしているということ。
  まだ降っていない峰の初雪が作者には見えており、
  読むものにも見えてくる。
  想像の世界を共有できるのが秀歌とされる所以(ゆえん)でしょう。
