続『小倉百人一首』
あらかるた
【63】日本書紀の桜
最古の桜
桜を詠んだ歌はどこまでさかのぼれるか。
探してみると、こういう神楽歌(かぐらうた)がありました。
おほきみのゆぎとるやまのわかざくら於介於介
わかざくらとりにわれゆくやふねかぢさをひとかせ於介於介
山に若桜を採りに行くから舟、梶、棹、人を貸してくれという内容で、
「おほきみ」は「大王」と書いて天皇のこと。
「ゆぎ」は「湯木」だとすると風呂をたくための薪かもしれません。
「於介」は『催馬楽(さいばら)』にもある囃し言葉で、
「オケ」と読みます。
若桜という言葉はあまり目にしませんが、
『日本書紀』には「わかさくらべ」という人物が出てきます。
五世紀前半のこと、履中(りちゅう)天皇が后と舟遊びをしていると、
天皇の盃に桜の花が落ちました。
冬の十一月だというのにこの花はどこから来たのか、
天皇は物部長真胆連(もののべのながまいのむらじ)を呼び、
探してくるように命じました。
長真胆連は掖上室山(わきのかみのむろのやま)で
桜を見つけ、天皇に献上。天皇は喜び、
宮の名を磐余稚桜宮(いわれのわかさくらのみや)としました。
(日本書紀巻第十二)
桜を発見した長真胆連は
稚桜部造(わかさくらべのみやつこ)の名を賜ったとあり、
天皇がいかに桜を愛でたかがわかります。
神楽歌の成立年代がはっきりしないので、
この記事が桜に関する最古の記述かもしれません。
意外に多かった山桜
『万葉集』の「春の雑歌」に桜を詠んだものがあります。
少女(をとめ)らが頭挿(かざし)のために
遊士(みやびを)の 蘰(かづら)のためと
敷きませる国の果たてに咲きにける
さくらの花のにほひはも あなに
(万葉集巻第八 1429 若宮年魚麻呂)
乙女たちの簪(かんざし)のために
風流な男たちの髪飾りのためにと
大王(おおきみ)の治める国の果てまで咲いている
桜の花の美しさは 嗚呼(あゝ)
年魚麻呂(あゆまろ)は髪飾りに桜が使われたと詠んでいますが、
梅の花や柳を髪に挿したという歌もあるので、
めずらしい例ではないのでしょう。
それより「国の果たてに」と国中に桜が満ちているように詠い、
絶句するかのような終わり方をしているのが印象的です。
山桜があちらこちらに花を咲かせていた日本の春。
万葉時代の人々もその美しさを愛でていたのでしょう。