読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【65】恋は楫のない小舟


たとえうた

『万葉集』の歌の分類に「譬喩歌(ひゆか)」というものがあります。
「譬喩」を今ふうに書けば「比喩」。
「譬」も「喩」も訓読みは「たとえ」ですから、
大和言葉で「たとえうた」と呼ぶこともあります。

詠み手の心情などをそのまま言わず
別のものごとにたとえて表現するもので、
よく知られているのがこの歌。

 
小里なる花橘を引き攀(よ)ぢて 折らむとすれどうら若みこそ
(万葉集巻第十四3574 よみ人知らず)

里に咲いている橘(たちばな)を引きよせて折ろうと思うのだが
(やめておこうか)まだ若すぎるから
 
言葉どおりに解釈すれば、花橘があまりに若くてみずみずしいから
折るのをためらってしまうということになります。

しかしこれはたとえうたです。
花橘はうら若い女性を指しています。
女性が思いのほか幼いのに気づいた作者は、
恋の相手にしてはいけないのではないかと、ためらっているのです。


たとえならではの情感

百人一首で比喩を用いた歌といえば、
まず小野小町のこの歌でしょう。

花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせしまに
(九 小野小町)

花の美しさは色褪せてしまった むなしく長雨がつづいている間に
(わたしの容色も衰えてしまった むなしくもの思いをしている間に)

四句の「わが身世にふる(=わたしは長く生きている)」によって、
花を惜しんでいるだけの歌ではないとわかります。

 
曾禰好忠(そねのよしただ)の歌もまた、
優れた比喩で知られています。

由良の戸をわたる舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな
(四十六 曾禰好忠)

由良の瀬戸を漕ぎ渡る舟人が楫(かじ)をなくしてさまようように
わたしの恋のなりゆきもどのようになるかわからないよ
 
たとえうたについて紀貫之(きのつらゆき 三十五)は、
さまざまな草木や鳥、獣に託して
思いを述べるもの(古今集仮名序)と書いています。
手法としてはそうですが、効果はどうでしょうか。

橘の花が小さくて白くて清楚なこと、
長雨が花を散らすことはだれでも知っています。
楫を失った船の不安も想像できます。

それらのイメージを重ね合わせることによって、
優れたたとえうたは深みのある情感を生み出し、
読み手の心に訴えかけてくるのです。