続『小倉百人一首』
あらかるた
【66】てふの歌
てふ=と+いふ
『古今和歌集』にこのような恋の歌があります。
月夜よし夜よしと人につげやらば 来てふに似たり待たずしもあらず
(古今和歌集 恋 よみ人知らず)
月が美しい今夜は素敵ねとあの人に伝えたら
こちらにいらっしゃいと言うようなもの
(そう言いつつも)待っていないわけではないのだけれど
うたゝねに恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき
(古今和歌集 恋 小野小町)
うたた寝の夢に恋しい人を見てからは
夢というものを頼りにするようになりました
どちらの歌にも「てふ」のついた言葉が入っています。
読みかたは「コテフ」ではなく「コチョウ」、
「ユメテフ」ではなく「ユメチョウ」です。
「てふ」は和歌によく使われる連語(れんご)で、
「と」と「いふ」がつながったもの。
現代語なら「という」意味になります。
百人一首にはこの歌がありますね。
恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
(四十一 壬生忠見)
恋をしているというわたしのうわさは早くも立ってしまった
ひそかに思いはじめていたというのに
伝聞のてふ
同じ百人一首でも、持統天皇の歌にある「てふ」は
伝聞をあらわしているのが特徴です。
春すぎて夏きにけらし 白妙の衣ほすてふ天の香具山
(二 持統天皇)
春が過ぎて夏が来ているらしい
白妙(しろたえ)の衣を干すという天の香具山には
衣を干すと伝え聞いていただけで、
本人はそれを見ていないのです。
次の大伴家持(おおとものやかもち 六)の歌も
はるか彼方の中国に思いを馳せています。
からひとの舟を浮かべて遊ぶてふ今日ぞ わがせこ花かづらせよ
(新古今和歌集 春 中納言家持)
唐の人が船を浮かべて遊ぶという今日こそ
仲間たちよ 花の髪飾りをつけるがよい
三月三日の曲水宴(きょくすいのえん)を詠んだ一首。
庭の池に船を浮かべ、水に杯(さかずき)を流して詩歌を作る
貴族階級の春の遊びですが、
遊びながらまだ見ぬ異国を意識していたのです。
伝聞の「てふ」が憧れを感じさせますね。