続『小倉百人一首』
あらかるた
【68】一遍上人と和泉式部
誓願時の出会い
謡曲『誓願寺(せいがんじ)』は鎌倉時代の一遍(いっぺん)上人と
平安時代の和泉式部(五十六)が出会うという不思議な設定。
物語は「六十万人決定(けつじょう)往生(おうじょう)」の
札(ふだ)を広めよという霊夢を得た一遍が都に上り、
誓願寺で札を配るところから始まります。
そこに現れた里の女(=じつは和泉式部の霊)が
六十万人しか往生できないのかと問いかけると、
一遍はこのように答えました。
六字名号一遍法(ろくじみょうごういっぺんほう)
十界依正一遍体(じっかいえしょういっぺんたい)
万行離念一遍証(まんぎょうりねんいっぺんしょう)
人中上々妙好華(にんじゅうじょうじょうみょうこうげ)
という四句の上の文字をとって「六十万人」と書いたのですと。
「決定往生」は必ず極楽往生できるという意味です。
里の女はこれで不審は晴れたと喜んだというのですが、
現代人にもわかるように解釈してみましょう。
「南無阿弥陀仏」の六字の名号(=称号)は
遍(あまね)く通用するただ一つの教えである。
十界(=すべての世界)に生を受けたものは
その教えのもとで皆平等な存在である。
無心に多くの行(ぎょう)を修めれば
普遍的な唯一の悟りを得ることができる。
そのようにして悟りを得た者は人の中でも上の上であり、
(泥の中に咲く)美しい蓮華(=ハスの花)のようである。
さて、女はみずからが和泉式部であることを明かし、
誓願寺の額を除けて六字の名号にしてほしいと頼みます。
一遍が名号を書いて本尊に奉ると式部の霊が現れ、
自分は極楽の歌舞の菩薩(ぼさつ)になったと喜びを語りました。
式部は往生を果たしたのです。
女人往生の寺
女は悟りを開いて仏になることができない。
ゆえにいったん男に生れ変わってから成仏をめざさなければならない。
女性が仏になることを女人成仏(にょにんじょうぶつ)、
あるいは女人往生(にょにんおうじょう)といいますが、
一部の経典ではそれをきわめて困難なこととしていました。
背景にあったのは女性を劣ったものとする考え方です。
しかし平安末期、浄土宗などの新仏教が広まるにつれ、
女性でも男性とおなじように往生できるという
教えが定着していきました。
いちど男に生れ変わって、などという手続きを経ずに
女性が救われるようになったのです。
新京極の浄土宗総本山誓願寺は女人往生の寺と呼ばれ、
和泉式部のほか清少納言(六十二)も
この寺で極楽往生を遂げたと伝えられています。
一遍の教えは念仏(=阿弥陀仏の名を唱えること)さえすれば
だれでも極楽浄土に往生(=生れ変わる)できるというもので、
女人往生のハードルはさらに下げられたことになります。
ついでながら和泉式部が歌舞の菩薩になったという話は、
一遍が踊り念仏を広めたことに関連づけられているのでしょう。
※「六十万人決定往生」の意味は謡曲『誓願寺』独自の解釈であり、
一般的な解釈とは異なります