続『小倉百人一首』
あらかるた
【69】紫式部の罪
和歌の仏教的解釈
鎌倉時代の仏教説話集『沙石集(しゃせきしゅう)』に、
「鎌倉の大臣殿の歌」として
このような和歌が載せられています。
なるこをばおのが羽風に任せつゝ 心とさわぐむらすゞめかな
鳴子をおのれの羽風で鳴らしておきながら
自分で驚き騒いでいる群雀(むらすずめ)であることよ
著者無住(むじゅう)は「この歌は深き心の侍るにや」と言い、
『法華経』の一節や禅師の語録を引用して解釈を試みています。
意味するところを簡略化すると
すべての物事はもともと生滅も増減もせず静かに存在する。
迷いの心がみずから煩悩を作り出し、苦しみ悩むのである。
雀が自分で鳴子を動かして驚き騒ぐのに似ているではないか。
ということになるようです。
群雀はわたしたち人間のことだというのでしょう。
「鎌倉の大臣」は時代からして百人一首に載る
鎌倉右大臣源実朝(みなもとのさねとも 九十三)かと思いますが、
実朝が上記の歌を詠んだ形跡は見当たりません。
成仏できなかった紫式部
『沙石集』の説話は和歌を仏教の観点から読み解いたものでした。
著者は和歌を布教に役立てようとしたのです。
しかし古くは、文学は絵空事、根も葉もない作り事であるとして、
価値のないものと考えられていました。
仏教では綺語(きご)と呼んで悪の一つとされていたほどです。
平安末期の『宝物集(ほうぶつしゅう)』には、
紫式部(五十七)が『源氏物語』を書いた罪により
地獄に堕ちて苦しんでいるという話があります。
物語こそ典型的な綺語だと考えられていたからでしょう。
しかし時代が下ると大きな変化が現れます。
謡曲『源氏供養(げんじくよう)』に登場する紫式部は
光源氏の霊を供養しなかったため成仏できずにいますが、
地獄で苦しみを受けているとは言っていません。
式部は僧に源氏を供養してもらって願いをかなえ、
これで極楽浄土に往生できると喜びます。
そして最後の場面で、式部は石山観音の化現(けげん)であり、
『源氏物語』は世の人に無常を知らせる方便だったことが明かされます。
『宝物集』には虚言(そらごと)を以て
『源氏物語』を造りたる罪云々とあり、
紫式部は仏教の五戒(ごかい)のひとつ
不妄語戒(ふもうごかい=うそをついてはならない)を破ったのです。
その「うそ」が「方便」になったのが
謡曲『源氏供養』であり、『源氏物語』は
読者に害を及ぼすどころか、民衆を仏の教えに導くための
ツールとして認められたことになります。
文学の、とくに物語文学の地位が向上したと
言えるかもしれません。
ところで、和泉式部(五十六)は
極楽浄土に往生して歌舞の菩薩になりましたが(前話参照)、
観音さまも正式名称は観世音(かんぜおん)菩薩です。
現世で同僚だった二人が今では菩薩同士という関係。
現世では仲がよかったという話を聞きませんが、
その後はどうなったのでしょうね。