続『小倉百人一首』
あらかるた
			【70】周防内侍 秘密の恋
優秀な女性官僚
 周防内侍(すおうのないし 六十七)は
  周防守(すおうのかみ)平棟仲(たいらのむねなか)の娘。
  後冷泉天皇の代に宮仕えをはじめ、
  さらに後三条、白河、堀河と三代の天皇に仕えて、
  女官キャリアはおよそ四十年に及んだといいます。
  天皇の日常に密着した後宮の部署、内侍司(ないしのつかさ)の
  次官である典侍(ないしのすけ)を務めていたのが名の由来。
  『後拾遺和歌集』は
  このようなエピソードを伝えています。
 
  《詞書》
    後冷泉院うせさせ給ひて
    世のうき事など思ひみだれてこもりゐて侍りけるに
    後三条院くらゐにつかせ給ひてのち 七月七日にまいるべきよし
    おほせごと侍りければよめる
    天の川おなじながれときゝながら わたらむことのなほぞ悲しき
    (後拾遺和歌集 雑 周防内侍)
 
  後冷泉天皇の崩御にともなって退官していた内侍に、
  新たに即位した後三条天皇から出仕の要請があったのです。
  七月七日と指定されていたので天の川に関連づけ、
  同じ流れ(=同じ皇統に仕える同じ仕事)とはうかがっておりますが
  渡る(=行く)にはまだ悲しみが癒えていませんと、
  内侍はやんわり断っています。
  後冷泉天皇は病気で急逝していたので、
  そのショックから「思ひみだれて」いたのでしょう。
  復職の誘いにもすぐには応じられなかったと思われます。
謎の私生活
周防内侍はその長いキャリアにもかかわらず、
  夫がいたのか、子はあったのか、
  それとも独身キャリアウーマンだったのかなど、
  私生活を知る手がかりを遺していません。
  そんな中で唯一、恋人だったと考えられるのが、
  侍従職だった源信宗(みなもとののぶむね)という人物。
  侍従も天皇の側近くに仕えているので、職場恋愛だったのでしょう。
 
 《詞書》
    周防内侍したしくなりて後
    ゆめゆめこの事もらすなゝど申しければ詠める
    逢はぬ夜はまどろむほどのあらばこそ ゆめにも見きと人に語らめ
    (金葉和歌集 恋 源信宗朝臣)
    会えない夜はうとうとすることさえできないのだから
    夢で会ったとさえ人に話すでしょうか
 
 秘密の恋はどうなったのか。
  『後拾遺和歌集』はこんな気になる歌を載せています。
    《詞書》
    心かはりたる人のもとにつかはしける
    契りしにあらぬつらさも 逢ふことのなきにはえこそ恨みざりけれ
    (後拾遺和歌集 恋 周防内侍)
    契り合ったというのに 今はあり得ないつらさだわ
    でも会うことがないのだから 恨みを言うことさえできないのね
  「心かはりたる人」は信宗なのでしょうか。
  この歌にかぎらず、内侍の恋の歌は相手を特定できないものばかり。
  個人情報の管理が厳重な女性だったようです。
