続『小倉百人一首』
あらかるた
【78】紫の袖
昇進を祝う歌
藤原清輔(ふじわらのきよすけ 八十四)の位階は
貴族としては最下級の五位に長い間とどまったままで、
弟たちに先を越されてしまっていました。(前話参照)
四位への昇進が認められたのは五十三歳のとき。
ようやく弟たちに近づいたわけですが、
昇進を知った二十二歳年下の弟重家(しげいえ)から
こういう祝いの歌が届けられたそうです。
むさし野の若紫のころもでは ゆかりまでこそうれしかりけれ
(清輔朝臣集)
武蔵野の紫で染めた若紫色の袖は
縁者のわたしまでがうれしく思いました
紫は四位以上の袍(ほう=上衣)の色です。
位階ごとにそれぞれ色が定められていたので、
五位から四位へ昇進すると赤い袍から紫色の袍に変わるのです。
ころもで(衣手)は袖を指し、
若紫と詠んだのは四位の袍が明るい紫だったからでしょう。
武蔵野は紫の染料にする紫(=紫草)が自生していたところ。
ゆかりは縁(えん/えにし)のことをいい、
『古今和歌集』の次の歌がもとになっています。
紫のひともとゆゑに むさし野の草はみながらあはれとぞ見る
(古今和歌集 雑 よみ人知らず)
紫草の一本があるという理由で
(あなたを愛しいと思う それだけで)
武蔵野の草がみな愛しいと思えます
(あなたと縁のあるもの 縁のある人すべてが愛しく感じられます)
あなたに関係のあるものはみんな好き、という
この歌から「紫のゆかり」という言葉が生まれたといわれています。
それを活かして重家は
紫の袖→紫草→武蔵野→ゆかり…と連想を重ね、
最後に清輔にゆかりのある自分が出てくるしかけを作っています。
シンプルに見えますが、よく考えられているのです。
昇殿を祝う歌
また重家は、宮中の歌合に召された清輔に
こんなふうに書き送っています。
わかの浦に年経てすみしあしたづの 雲ゐにのぼるけふの嬉しさ
(玉葉和歌集)
和歌の浦に長く棲んでいた鶴が
(和歌に長年かかわってきたあなたが)
雲の高みにのぼっていく今日のうれしさよ
(昇殿を許された今日のうれしさよ)
清輔はこう応えています。
あしたづのわかの浦みてすぎつるに 飛び立つばかり今ぞうれしき
(清輔朝臣集)
和歌の研鑽を積んできましたが
(鶴ではないわたしが)飛び立つほどに今をうれしく思います
清輔を召したのは二条天皇でした。
天皇の信任を得た清輔は歌壇の中心人物となり、
歌合を主催したり幾巻もの書物を著して、
後世に影響を及ぼすほどの歌人になっていきました。