続『小倉百人一首』
あらかるた
【79】貴族の温泉旅行
恋の病は温泉で
二条院讃岐(にじょういんのさぬき 九十二)の父、
源頼政(みなもとのよりまさ)にこのような歌があります。
かたがたにいで湯はおほくきゝしかど なゝくりへこそわきて来にけれ
(爲忠家初度百首)
あちらこちらに出湯(いでゆ)は多く聞き知っているけれど
七栗へこそわざわざ来たのです
七栗は平安貴族に人気の温泉地の一つでした。
三重県津市の榊原温泉のことだそうですが、
都から決して近いとはいえない伊勢の国の温泉に、
なぜわざわざ行ったというのでしょう。
常陸(ひたち)という女房歌人がこう詠んでいます。
世の人の恋のやまひの薬とや 七くりの湯のわきかへるらむ
(永久四年百首 常陸)
世の中の人たちの恋の病の薬にと
七栗の温泉は沸き立っているのでしょう
頼政は恋わずらいを癒しに行ったのです。
ひとことも恋と言わずにこれが恋の歌だとわかるのは、
七栗の湯が恋の病に効くと広く知られていたから。
つきもせず恋に涙をながすかな こやなゝくりのいで湯なるらむ
(後拾遺和歌集 恋 相模)
尽きることなく恋に涙を流すことです
これこそ七栗の出湯ではありませんか
相模(さがみ 六十五)の歌は
高貴な女性に恋してしまった男に代わって詠んだもの。
出湯のように涙が尽きないというのを
七栗の湯に結びつけて恋の病を暗示しています。
また「なゝくり」が「七繰り」との掛詞だとすると、
七回も湯に入らないと治らない重症ということに…。
この世の極楽
当時都でもっとも知られていた温泉は、やはり有馬温泉でした。
源兼昌(みなもとのかねまさ 七十八)は
その特徴をこのように詠んでいます。
わたつうみははるけきものを いかにして有馬の山にしほゆ出づらむ
(永久四年百首 源兼昌)
大海原から遠く隔たっているのに
どのようにして有馬の山に潮湯が出るのだろう
「潮湯/塩湯」は塩分を含んだ温泉のこと。
箱根や塩原も海から遠い食塩泉ですが、
山から海水のような塩からい湯が出るのは謎だったのでしょう。
藤原道長の息子頼通(よりみち)にはこのような歌があります。
有馬滞在中に詠んだというのですが、
いさやまだつゞきも知らぬ高嶺にて まづくる人に都をぞとふ
(詞花和歌集 雑 宇治前太政大臣)
さあねぇ どこまで続くのかも知らない山の高みで
最初に来る人に都のようすを訊いてみよう
道を尋ねるのではなく、つい都のことを尋ねてしまうというのです。
不慣れな山道で都を恋しがっていたと読み取れます。
しかしこれは「いさやまた」を「いさやまだ」と読んだから。
これを「いざやまた」と読むと意味が変わってきます。
長逗留していたのか都のようすが気になり、
また不案内な山に上って、都の方角から来る人に尋ねようと。
正解はわかりませんが、
頼通といえばこの世の極楽といわれる平等院を作った人物。
有馬温泉という極楽から抜け出せない自分を
面白半分に詠んだのかもしれません。
※「いざやまた」と解釈しているのは昭和五年刊『日本古典全集』です。