続『小倉百人一首』
あらかるた
【81】俊頼の機転
歌の中に我が名あり
法性寺入道藤原忠通(ただみち 七十六)の邸で歌会が催された際、
講師(こうじ=歌を読み上げる役)を務めた
源兼昌(かねまさ 七十八)は、源俊頼(としより 七十四)の歌に
作者名が書かれていないのに気づき、本人にそれとなく知らせました。
しかし俊頼は「たゞ読み給へ」と言うばかり。
兼昌はしかたなく歌を読み上げました。
卯の花の身の白髪とも見ゆる哉 賤(しづ)が垣根もとしよりにけり
(散木奇歌集第二 四月)
卯の花はわが身の白髪に見えなくもないな
庶民の垣根も年を取ったのだ
作者の名前「としより」が隠されていたのです。
この話を伝える『無名抄(むみょうしょう)』は
兼昌が下泣き(=忍び泣き)して感動し、
忠通もたいへん面白がったと記しています。
また「かの三首の題を歌一首に詠みたりけむ心ばせには
やゝまさりてこそ侍れ」と追記しており、
著者鴨長明は藤原範永(のりなが)の逸話を思い出したようです。
範永は公任(きんとう 五十五)の家で開かれた歌会に遅刻。
到着したころにはほかの参加者たちは
紅葉、天橋立、恋の題で歌を書き終えようとしていました。
今からでは間に合わないと思った範永、
三つの題を一首に詠み込むことを思いつきます。
恋ひわたる人に見せばや 松の葉も下もみぢするあまの橋立
(金葉和歌集 恋 藤原範永朝臣)
恋をしつづける人に見せたいものです
松の葉も下の方から色が変わる天橋立を
恋も長引けば色あせると言いたいのでしょうか。
よくわからない歌ですが、長明が俊頼の機転を「やゝ」と
微妙なほめ方をしているのが面白いところです。
的外れな論難
次の話は俊恵(しゅんえ 八十五)が長明に語り伝えたもの。
前出の忠通邸で歌合があり、俊頼と藤原基俊(もととし 七十五)が
判者(はんじゃ)を務めていました。
作者の名を伏せて優劣の判定を下していたのですが、
基俊は俊頼の歌をそれと知らずに難点を挙げ、負けとしました。
くちをしや雲居隠れにすむたつも 思ふ人には見えけるものを
(元永元年内大臣家歌合 源俊頼)
惜しいことだ 雲に隠れ棲む竜も
見たいと思う人には姿を見せるというのに
基俊は「たつ」を鶴(たづ)だと思い、
鶴は沢に棲むもので雲居に棲むことはあり得ないと指摘したのです。
当時は濁点を表記しなかったため、ありそうな勘違いではあります。
さて、俊頼はその場では反論せず、
忠通に提出した判定記録にこのように記しました。
「これは竜(たつ)です。かの葉公(しょうこう)が
竜を見たいと願いつづけ、ついに実物の竜が現れたという話を
歌に詠んだのです」と。
葉公は『荘子』に言及されている人物だそうです。
基俊はその故事を知らず「たつ」を鶴と思い込み、
鶴に関する蘊蓄(うんちく)をあれこれ述べ立てたとか。
実は葉公、いざ実物の竜を見ると
恐れおののいて逃げ出したといわれています。
基俊も俊頼から歌の真意を教えられたら、
不明を恥じて逃げ出していたかもしれません。
反論しなかったのは俊頼の思いやりの機転だったのでしょう。