続『小倉百人一首』
あらかるた
【83】偽書『悦目抄』
回文の和歌
上から読んでも下から読んでもおなじ文になる
回文(かいぶん)、廻文(まわしぶみ)。
「たけやぶやけた」「ダンスがすんだ」などは
よく知られていると思いますが、
回文の和歌があるのをご存知でしょうか。
江戸時代、正月の縁起物として売られていた宝船の絵に
このような歌が添えられていました。
(原文のまま濁点をつけずに表記します。)
なかきよの とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの おとのよきかな
漢字になおすと「長き夜の遠の睡(ねむ)りの皆目醒(めざ)め
波乗り船の音の良きかな」となるそうです。
冬の夜の長い眠りからすべてが目覚め、
波に乗る船の進む音が心地よいというのでしょう。
回文歌がいつからあるのかわかりませんが、
藤原基俊(ふじわらのもととし 七十五)の編著とされる
『悦目抄(えつもくしょう)』はこのような歌を紹介しています。
をしめともついにいつもとゆくはるは くゆともついにいつもとめしを
惜しんでも結局いつも通りに行ってしまう春は
悔いてもついにいつも通り止められないのだな
著者は回文歌には「はかばかしきものなし」と言い、
「あさ夕によむべき事にあらず」と否定的です。
戯れの和歌
『悦目抄』は鎌倉時代中頃に書かれた偽書とされています。
かつて源俊頼(みなもとのとしより 七十四)と並び称された
院政期の有力歌人の名をかたり、まったくの別人が書いたというのです。
それはさておき、
同書は回文以外の歌体(=歌のスタイル)も紹介しています。
たとえば畳句(じょうく)。おなじ言葉を
たたみかけるように繰り返します。
心こそ心をはかる心なれ 心の仇(あた)はこゝろなりけり
心こそ心を推し量るための心(=大事なもの)です
心の敵は心だったのです
次は隠し題の例。題に出された語句を
それとわからないように歌に詠み込みます。
をと年もこぞも変らでさく花を その日散りきと知る人ぞなき
一昨年も昨年も同じように咲いていた花なので
(今年は)何日に散ったのか知っている人がいないのです
この歌には楽器の名「ひちりき(篳篥)」が隠されています。
隠し題は歌会に出題されることもありますが
言葉遊びにはちがいなく、正体不明の著者はこれも
「あさ夕によむべき事にあらず」と考えていたかもしれません。
伝統を重んじた主流派歌人基俊になりきっていたようですから。