読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【84】名歌か盗作か


遅咲きの名歌人

藤原雅経(ふじわらのまさつね 九十四)の代表作とされるのは、
『新古今和歌集』に載るこの歌です。

うつりゆく雲にあらしの声すなり 散るかまさきのかづらきの山
(新古今和歌集 冬 藤原雅経)

流れていく雲から嵐の音がしている
葛城山(かつらぎやま)の柾(まさき)の葛(かずら)は
散っているのではないだろうか

「まさきのかづら」は蔓(つる)性植物の名で、
ここでは「かづらき(=かつらぎ)」との掛詞になっています。
蔓を裂いて作った鬘(かずら)を神事に用いたので、
古来神の山とされてきた葛城山と結びつけたのでしょう。

空を行く雲と木枯らしの音という実際の視覚、聴覚の情報から
見えていない葛城山の柾の葛を想起しているのですが、
読み手は風に散る葛の葉の姿や音まで想像してしまいます。
言葉の適切さ、力、配置のどれをとっても見事です。
 
雅経の家集『明日香井(あすかい)和歌集』によると、
この歌は元久元年(1204年)十一月に行われた
春日社歌合(かすがしゃうたあわせ)で詠んだもの。

当時三十五歳くらいだったと思われますが、
このころの雅経はさまざまな歌合、歌会に呼ばれており、
人気歌人の仲間入りを果たしていたようです。


名手ゆえの悪評

さらに雅経は後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)の歌壇で
家隆(いえたか 九十八)や定家(九十七)と
肩を並べるほどに成長していきます。
『新古今和歌集』の選者に加えられたことからも
院の信頼のほどがうかがえます。

勅撰和歌集には百三十首が採られていますが、
一部には「人の歌の詞(ことば)をぬすみとる」という
評価もありました(歌論書『八雲抄』など)。

 
いまはたゞこぬ夜あまたの小夜更けて またじと思ふに松風の声
(水無瀬殿恋十五首歌合 雅経)

あなたが来ない夜が幾夜もつづいた今となっては
もう待つまいと思うのだけれど
夜が更けて松風の音を聞くと
またあなたを待ってしまうのです

この切ない恋歌の本歌はこちら。

頼めつゝ来ぬ夜あまたになりぬれば 待たじと思ふぞ待つにまされる
(拾遺和歌集 恋 人麿)

信じながらもあなたの来ない夜が多くなってしまったので
(今では)待つまいと思うつらさが待つつらさに勝っています
 
本歌は文字だけ見れば待たない気持が勝っているかのよう。
ほんとうは待つよりあきらめるほうがつらいと言いたいのでしょう。
雅経の歌は深読みしなくともわかりやすく、
松風を聞いただけで待つ気になっています。

本歌から多くの言葉を借用しながら本歌以上の秀歌を生み出しており、
これは百人一首に採られた「み吉野の…」も同じです。
一見すると本歌をちょっと変えただけなので、
「ぬすみとる」などと言われてしまうのでしょう。

本歌取りの名手ならではの避けられない誤解と
言えるかもしれません。

※旧バックナンバー【7】【40】【165】参照