続『小倉百人一首』
あらかるた
【86】涙 川
涙あふれて川となる
『古今和歌集』に藤原敏行(ふじわらのとしゆき 十八)と
在原業平(ありわらのなりひら 十七)の
このような歌のやり取りが載っています。
《詞書》
なりひらの朝臣(あそん)の家に侍りける女のもとに
よみてつかはしける
つれづれのながめにまさる涙川 袖のみぬれてあふよしもなし
(古今和歌集 恋 としゆきの朝臣)
何をするでもなく物思いに沈んでいると
長雨に水嵩(みずかさ)の増すように涙の川の水が増し
袖が濡れるばかりでお会いするすべもありません
《詞書》
かの女にかはりて返しによめる
浅みこそ袖はひづらめ涙川 身さへながると聞かばたのまん
(古今和歌集 恋 なりひらの朝臣)
涙川が浅いからこそ袖が濡れるのでしょう
身体まで流れるとおっしゃるならあなたを信じましょう
業平の家にいる女とは誰だったのか気になりますが、
業平がその女に代わって詠んだ返歌がちょっと意地悪。
涙が流れて川になるというだけでも大げさなのに、
身体まで流れるくらいでないとダメだというのですから。
涙川あれこれ
涙川はどういうものと考えられていたのでしょう。
枕のみうくと思ひしなみだ川 いまはわが身のしづむなりけり
(新古今和歌集 恋 坂上是則)
枕が浮くだけと思っていた涙川ですが
今はわが身が沈んでいます
坂上是則(さかのうえのこれのり 三十一)は
流れずに沈んでしまいました。
川が深くなり、淵になったのでしょうか。
涙川しばしおさへむかたぞなき 吉野の滝はせきとゞむとも
(正治初度百首 寂蓮)
涙川の流れはしばらく抑えておく方法さえない
吉野の滝は堰き止めることができても
寂蓮(じゃくれん 八十七)の涙川はもはや制御不能。
涙川おなじ身よりはながるれど こひをば消たぬものにぞありける
(後拾遺和歌集 恋 和泉式部)
涙川は恋と同じわが身から流れているけれど
恋の火は消さないものだったのね
水の縁語「川」と「流る」、火の縁語「こひ(火)」と「消つ」を
巧みに詠み込んだ和泉式部(いずみしきぶ 五十六)の一首。
制御不能な涙川でさえ恋の思いは消せないと、
こちらは恋の「思ひ」を強調しています。
便利な言葉だったのか、歌人たちは盛んに涙川を詠んでいます。
その結果涙川は類歌(=似たような歌)のしがらみに淀んでしまい、
印象に残る歌を探すのが難しい状態。
百人一首歌人たちはさすがに個性的な歌を残しています。