読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【88】伊勢物語の桜


業平の花見

『伊勢物語』八十二段は花見の話。
在原業平(十七)が惟喬(これたか)の親王(みこ)の
桜狩りに随行した様子が描かれています。

桜の枝を折って髪に挿し、酒を飲み、歌を詠み交わす大宴会。
夕方になってお供の一人が新しい酒を届けると、
場所を変えようというので、一同は天の河という場所に移動しました。
親王は交野(かたの)で狩りをして天の河に着いたのを
題にして一首詠めと命じました。

狩りくらしたなばたつめに宿からむ 天の河原に我は来にけり

 
詠んだのは馬の頭(かみ)とありますから、業平のことです。
親王が返しを詠みあぐねていると、
同行していた紀有常(きのありつね)がこう詠みました。

ひとゝせにひとたび来ます君まてば 宿かす人もあらじとぞ思ふ

一日中狩りをして棚機つ女(=織女)に宿を借りようという業平。
織女は一年(ひととせ)に一度来る夫君を待っているのだから、
だれにも宿は貸せないだろうと返した有常。
酒席での即興にしては上出来、でしょうか。

 
惟喬親王が毎年訪れたという水無瀬の離宮は
皇室の狩猟地交野に近く、天之川があるのもこのあたり。
交野は歌枕の地でもあり、桜の名所としても知られていました。

『伊勢物語』は「狩はねむごろにもせで」と記しており、
男たちは狩りもそこそこに昼から酒を飲んでいたようです。
日暮れまで待てないのは現代の花見も同様かもしれませんが、
かれらは当然のように花の枝を折っていました。
当時の風流、おしゃれだったのでしょうか。


兼好の花見

時代が下って、『徒然草』は
業平たちのような花見を批判しています。
 「よき人」はさりげない楽しみ方をするというのです。

よき人はひとへに好けるさまにも見えず
興ずるさまも等閑(なほざり)なり

そして

かたゐなかの人こそ色こくよろずはもて興ずれ
花のもとにはねぢより立ちより
あからめもせずまもりて 酒飲み連歌して
はては大きなる枝 心なく折り取りぬ

花ににじり寄ってわき目もふらず凝視し、
酒を飲んでは連歌を詠み、ついには枝を折ってしまう、
そんなしつこい楽しみ方はよろしくないと。
上品な人、洗練された人は熱中しているようには見えず、
楽しみ方もあっさりしているというのです。

今どきの言葉で言うなら
マナーをわきまえて楽しみなさいということ。
お行儀のよくない花見をしていたら
兼好さんに叱られるかもしれませんね。