読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【89】百人三首


百人一首以前の百人

後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)は秀歌撰
『時代不同歌合(じだいふどううたあわせ)』を遺しています。
これは時代の異なる百人の歌人を選び、歌合形式で組み合わせたもの。

架空の歌合であり、勝敗も決めていませんが、
興味深いのは藤原定家(ふじわらのていか 九十七)の
百人一首より先に作られていたことです。

百人を勅撰和歌集から選んでいるのはおなじ。
ただ歌人一人につき三首を採っているので総数は三百首となり、
そこが百人一首と異なるところです。

 

たとえば凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)と
紫式部(五十七)の組み合わせはこのようなもの。

いづことも春の光はわかなくに まだみよしのの山は雪ふる
(後撰和歌集 春 凡河内躬恒)

どこということもなく春の光は分け隔てなく射すものなのに
まだ吉野山では雪が降っています
(=我が身に光は届いていません)

みよし野は春のけしきにかすめども むすぼゝれたる雪の下草
(後拾遺和歌集 春 紫式部)

吉野は春の兆しにかすんでいますが
(わたしは)雪の下の草のように固まって
(=ふさいだ気持で)いるのです

 
百年ほど時代の異なる二人ですが
どちらも春の歌といいながら己の心情や境遇を訴えており、
ほんとうに共通の歌題による歌合があったかのよう。

後鳥羽院の選歌基準はおそらくそこにあり、
歌合として真実味を感じさせるように
作品を選りすぐり、組み合わせたのでしょう。


創作ならではの顔合わせ

平兼盛(たいらのかねもり 四十)のこの歌は
実際の歌合では壬生忠見(みぶのただみ 四十一)との
組み合わせだったのですが、ここでは
藤原秀能(ふじわらのひでよし)と合わされています。

しのぶれど色にいでにけりわが恋は ものや思ふと人のとふまで
(四十 平兼盛)

人に知られぬようにしていたわたしの恋も顔に出てしまったか
悩みでもあるのかと人がたずねるほどに

もしほやくあまの磯屋の夕煙 たつ名もくるし思ひたえなで
(新古今和歌集 恋 藤原秀能)

磯辺の海人の小屋から藻塩(もしお)を焼く夕方の煙が立っている
あのように(わたしの恋のうわさが)立つのもつらい
思いの火が消えることもないままで

 

時代の異なる歌人を組み合わせる趣向ですから、
後鳥羽院はここでも百五十年ほど離れた二人を合わせています。
題があるとすれば「露顕しそうになった恋」、でしょうか。

あり得ない顔合わせの歌合を創作しようと思っても、
ただの歌好きの知識とセンスではとうてい無理。
それを百人の歌人を動員して完成させてしまうとは、
後鳥羽院の力量恐るべし、ですね。