続『小倉百人一首』
あらかるた
			【90】粒ぞろいの百人
質を重んじた選歌
  『時代不同歌合(じだいふどううたあわせ)』(前話参照)は
  百人一首と多くの歌人が重複しています。
  しかし菅原道真(二十四)や清少納言(六十二)は漏れており、
  顔ぶれは若干地味な印象があります。
  後鳥羽院は作者の知名度や話題性には関心がなかったようです。
  歌人としての実績がとぼしい人物を入れず、
  馬内侍(むまのないし)や藤原顕季(ふじわらのあきすえ)といった
  実力者を何人も採っているため、結果として百人一首よりも
  粒ぞろいになっていると言えるでしょう。
質を重んじた結果とも考えられ、たとえば
  紀貫之(きのつらゆき 三十五)はこの三首が選ばれています。
   
  しら露も時雨もいたくもる山は したば残らず色づきにけり
    (古今和歌集 秋 紀貫之)
    白露も時雨もひどく漏る守山(=地名)は
    木々の下葉も残らず紅葉していることだ
    むすぶ手の雫ににごる山の井の あかでも人にわかれぬるかな
    (古今和歌集 離別 紀貫之)
    掬(すく)った手から落ちるしずくで山の泉は濁ってしまう
    閼伽(あか=仏に供える水)ではないけれど
    飽きる間もないうちにあなたと別れてしまったことです
    吉野川いはなみたかくゆく水の はやくぞ人を思ひそめてし
    (古今和歌集 恋 紀貫之)
    吉野川を岩に波を高く立てながら流れる水のように
    わたしははやくからあなたのことを思い始めていたのです
  いずれも秀歌と呼ばれるもので、
  とくに離別歌「むすぶ手の」は俊成(八十三)が『古来風体抄』で
  「歌の本体(=真の姿)はたゞこの歌なるべし」と
  称賛を惜しまなかった一首です。
定家の意図はどこに
 百人一首の貫之の歌「人はいさ」は
  宿の主人の嫌味に応じたとっさの一首でした。
  面白いエピソードがあったためによく知られていましたが、
  すぐれた作品というには抵抗があります。
  清少納言の「夜をこめて」は歌を詠むに至ったいきさつが面白く、
  紫式部(五十七)の「めぐり逢ひて」は
  『源氏物語』を連想させる「雲がくれ」という言葉を含んでいます。
  定家は百人の歌人それぞれの代表作を集めようとは
  思っていなかったのでしょう。
  百人一首はもともと色紙に書かれていたといいますから、
  室内に飾るもの、インテリアだったのです。
  話題性のある歌や人物が多いのは、
  座を盛り上げる効果を狙ったからかもしれません。
