続『小倉百人一首』
あらかるた
【91】浦島の箱
浦島を詠む西行
浦島伝説を詠んだ歌があるのをご存じでしょうか。
数は少ないのですが幾人かの有名歌人が採り上げており、
確認できた範囲では西行(八十六)が三首詠んでいます。
《詞書》
伊勢より小貝をひろひて箱に入れて包みこめて
皇太后宮大夫のつぼねへつかはすとて書きつけける
浦島のこは何ものと人問はゞ あけてかひある箱とこたへよ
(西行法師家集 雑)
浦島の子じゃないが これは何かと人が訊いたら
開けて甲斐のある(=貝のある)箱だと答えなさい
箱の中身が伊勢で拾った貝だというので、
開ける甲斐のある箱だと戯れています。
「こは」は「子は」と「こは(=これは)」との掛詞。
浦島は箱を開けた甲斐がなかったことを踏まえ、
この箱はそれとはちがいますよと。
ちなみに「子」は子どもではなく、
「人」「人物」を表しています。
《詞書》
郭公(ほととぎす)を待ちてむなしくあけぬと云ふ事を
郭公聞かで明けぬる夏の夜の 浦島の子はまことなりけり
(山家集上 夏)
ほととぎすを聴かぬまま明けてしまった夏の夜の空しさは
ほんとうに箱を開けてしまった浦島の子の空しさのようだ
下の句のわかりにくい歌ですが、
これは中務(なかつかさ)の本歌取りでしょう。
夏の夜は浦島が子の箱なれや はかなくあけてくやしかるらん
(拾遺和歌集 夏 中務)
夏の夜は浦島の子の箱なのでしょうか
うっかり開けてしまって悔しかったでしょう
(あっさり明けてしまって残念なことでしょう)
「はかなく」は「うかつにも/おろかにも」という意味と
「空しく」という意味があります。
浦島の箱は空しさの象徴
また西行は『山家集』の百首歌でこのように詠んでいます。
言ひすてゝ後のゆくへを思ひ出でば さてさは如何に浦島の箱
(山家集下 無常十首)
無造作に言い放っておいてその後の自分を考えると
さてどのようなものだろうか
浦島が箱を開けたようになるのだろうな
箱を開けた浦島は呆然自失、空しさに襲われたことだろう。
そんなことにならぬよう、考えもしないで
不用意な発言をすべきではないと。
最後に藤原俊成(八十三)の歌を。
百千たび浦島が子は帰るとも はこやの山はときはなるべし
(千載和歌集 賀 皇太后宮大夫俊成)
百度千度と浦島の子が帰るほどの時を経ても
藐姑射(はこや)の山は変わることがないでしょう
藐姑射の山は仙洞(せんとう)と同義で上皇の御所のこと。
ここでは後白河院の御所を指しており、
院の長寿を祈願する内容になっています。
藐姑射の語を用いたのは箱を意識したため。
さて、これらの歌はいずれも箱を詠んだもので、
亀も龍宮も出てきません。
浦島の子が太郎と名付けられ、
亀の恩返しなどのおとぎ話的な要素が加わったのは
室町時代に入ってからなのだそうです。