続『小倉百人一首』
あらかるた
			【93】修行の日々
大僧正の忘れ物
白河院の近臣だった公卿藤原宗通(むねみち)に
  このような歌があります。
    草枕さこそは旅のとこならめ けさしもおきて帰るべしやは
    (金葉和歌集 雑 大納言宗通)
    草を枕にする旅の寝床だからといって
    今朝起きてすぐお帰りになることもありますまいに
  旅の途中のだれかが朝早く帰っていったように読めますが、
  その人物は宗通の家を訪れていた行尊(ぎょうそん)でした。
  行尊は密教の仏具である独鈷(とっこ)を
  忘れて帰ってしまったのです。
 
  修行の旅に必要な独鈷でしょうに、
  それを置いて帰ってしまうなんて…と、
  忘れ物とともに届けさせたのがこの歌。
  「独鈷」と「床」は掛詞。「置きて」と「起きて」も掛詞。
  「今朝」も「袈裟」に掛けているかもしれません。
  宗通が旅を象徴する言葉「草枕」を持ち出したのは、
  行尊が若いころから霊山をめぐる旅を重ねていたから。
    あはれとてはぐゝみたてしいにしへは 世をそむけとも思はざりけむ
    (新古今和歌集 雑 大僧正行尊)
    かわいがって育て上げてくれたその昔には
    世をそむけ(=出家せよ)とも思わなかったでしょう
 
熊野から大峰(おおみね)に入ろうとする行尊が、
  年来養育してくれた乳母(めのと)に届けた一首です。
  大峰の回峰行(かいほうぎょう)は
  命を落としかねないきわめて困難な修行ですから、
  永遠(とわ)の別れを意識して詠んだように思えます。
忘れられた行尊
 百人一首に採られたのは、その大峰で
  思いがけず出会った山桜に呼びかけた歌でした。
    もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし
    (六十六 大僧正行尊)
    山桜よ おまえもわたしを懐かしんでくれ
    おまえのほかにわたしの心を知る人はいないのだから
  歌を詠むだけの余裕があったのかと思いますが、
  修行の厳しさを物語るこのような歌もあります。
    心こそ世をば捨てしか まぼろしの姿も人に忘られにけり
    (金葉和歌集 雑 僧正行尊)
    心は世を捨てたのですが 幻にすぎないこの姿も
    あなたに忘れられてしまいましたね
 
 修行僧や修験者が身につけた法力(ほうりき)を競う
  験競べ(げんくらべ)というものがあります。
  熊野で行われた験競べを見に来た知人が
  やせ衰え姿の変わりはてた行尊に気づかなかったので
  詠んだというのが上記の歌。
  「まぼろしの姿」は目に見えるものは幻にすぎないという
  考えにもとづく言葉ですから、
  目に見えない心と対にしているのです。
  わたしは世を捨てた(=忘れた)けれど
  あなたはわたしの姿を忘れたのですねと。
※旧バックナンバー【63】参照
