続『小倉百人一首』
あらかるた
【95】夏虫
清少納言と夏虫
『枕草子』の「虫は」の段は
虫の好き嫌いをあれこれ述べたもの。
その中にこのような一節があります。
夏蟲 いとをかしうらうたげなり
火ちかうとりよせて物語などみるに
草子の上などにとびありく いとをかし
夏虫は言うまでもなく夏の虫のこと。
灯火の下を飛び歩くとなると、
火に集まる習性のある蛾(が)、もしくは
黄金虫(こがねむし)を指していることになります。
また「をかし(=趣がある)」、
「らうたげ(=かわいらしい)」と言っていますから、
清少納言(六十二)が愛でているのはきれいで小さい虫なのでしょう。
この段の夏虫は一般的には小型の蛾のことと解釈されていますが、
博学な清少納言は「青蛾(せいが)」や「蛾眉(がび)」といった
美女を表す漢語を知っていたはずで、
蛾に親しみを感じていたのかもしれません。
夏虫は恋の虫
和歌に目を転じると、
詠まれる夏の虫はおもに蝉(せみ)と蛍(ほたる)です。
火に集まる虫も多く詠まれていますが、それは
「思ひ」と恋の「火」を掛けるのに好都合だったから。
恋の情熱や無謀さを表現するにも適しています。
夏虫をなにかいひけん 心から我も思ひに燃えぬべらなり
(古今和歌集 恋 躬恒)
夏虫のことをなぜ(悪く)言ったのか
わたしも心からの(恋の)思いの火に燃えてしまうだろうに
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)は
火に飛び込んで身を滅ぼす虫を愚かだと思っていたのでしょう。
しかし考えてみたら、自分もそれとおなじじゃないかというのです。
よひのまもはかなく見ゆる夏虫に まどひまされる恋もするかな
(古今和歌集 恋 紀友則)
宵の間のはかない命の夏虫に
惑いのまさる恋をすることだ
火に惑わされて今宵のうちに身を滅ぼすであろう夏虫。
自分の恋の惑いはそんな夏虫以上に激しいと。
「思ひ」でなく「惑ひ」に「火」を響かせためずらしい例です。
人の身も恋にはかへつ 夏虫のあらはに燃ゆとみえぬはかりぞ
(後拾遺和歌集 恋 和泉式部)
人も恋のためには身を引き換えにした
夏虫のように(身が)燃えたとはっきり見えないだけで
人は実際に身を燃やすことはないけれど、
恋の代償に身を滅ぼすことはおなじだというのです。
ところで、次の歌の夏虫は何でしょう。
わがたまもあくがれぬべし 夏虫の御手洗川にすだく夕暮れ
(俊成五社百首 賀茂)
夕暮れの御手洗川(みたらしがわ)に集まる夏虫を見ると、
わたしの魂もあのように体から抜け出してしまいそうだと。
上賀茂神社の御手洗川は蛍の名所でした。
蛾の集合場所ではなく、蛾を人の魂に見立てる習慣もないので、
藤原俊成(八十三)が詠んだのは明らかに蛍です。
蛾と蛍ではずいぶん印象が異なりますが、
「夏虫」が特定の昆虫を指す言葉ではなかったため、
読み間違いしそうな歌が生まれることになってしまいました。