続『小倉百人一首』
あらかるた
【98】もれ出づる月
雲間の月
花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。
吉田兼好は『徒然草』でこのように述べ、満開の桜ばかりを愛で、
澄んでかげりのない月ばかりを楽しむべきものだろうかと
疑問を呈しています。
散りゆく桜にも風情があり、
雲に隠れた月にも趣があるではないかというのですが、
藤原顕輔(あきすけ 七十九)の歌は
まさにその隠れた月を詠んだものでした。
秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
(七十九 左京大夫顕輔)
雲ひとつない空に澄んで真丸な月が浮かぶ。
それはそれで見事かもしれませんが、
雲間に見える月のほうが絵になり、さやけさも際立つでしょう。
さて、兼好はおなじ『徒然草』の中で、
木(こ)の間(ま)の月や雲の切れ間に見え隠れする月を
情趣を解する友と一緒に見たいものだとも言っています。
これに呼応するかのような歌を詠んだのが西行(八十六)です。
もろともに影を並ぶる人もあれや 月のもりくるさゝのいほりに
(山家集上 秋)
笹の庵は草の庵と同じく質素、粗末な家を指します。
月の光が洩れてくるほどの頼りない家なのですが、
並んでそれを楽しむ人がいれくれたらと。
あばら家の月
西行の歌は粗末な家にそそぐ月の光を愛でたもの。
平安末期から増え始めた歌題らしく、
良暹(りょうぜん 七十)にこのような歌があります。
板間より月のもるをも見つるかな 宿はあらして住むべかりける
(詞花和歌集 雑 良暹法師)
板間(いたま)は屋根板の間(あいだ)のこと。
板葺き屋根の板に隙間ができて、そこから月の光が洩れてくるのです。
だから家は荒れ放題にして住むのがよかったのだと。
良暹はわざとらしさが気になりますが、
二条院讃岐(にじょういんのさぬき 九十二)の次の歌は
洩りくる月を異なる視点から詠んだ例。
身の憂さを月やあらぬとながむれば 昔ながらの影ぞもりくる
(新古今和歌集 雑 二条院讃岐)
つらいことが続いたせいで、自分は変わってしまったかもしれない。
月はどうだろうかと見てみると、昔ながらの光が洩れてくる。
この歌は在原業平(ありわらのなりひら 十七)の本歌取りです。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして
(古今和歌集 恋 在原業平朝臣)
月は昔の月ではないのか。春は昔のままの春ではないのか。
わたしは昔のわたしのまま(のはず)なのだが…。
じつは傷心ゆえに業平自身が変わってしまい、
月を愛でることも春を楽しむこともできなくなっていたのです。
讃岐も自分自身が変わってしまって
月が昔のように見えないのではないかと思ったのでしょう。
しかし月の光は昔のままでした。
業平歌の詞書には「月のかたぶくまで
あばらなるいたじきにふせりてよめる」とあります。
「あばら」は「まばら」に通じ、隙間が多いということ。
讃岐が「影ぞもりくる」と書いたのは、
業平が廃墟のようになった家を訪れて詠んだというエピソードから、
板間から洩る月の光を浴びていたであろう業平を
思い描いたためかもしれません。