続『小倉百人一首』
あらかるた
【101】松虫は鈴虫 鈴虫は松虫
入れ替わっていた松虫と鈴虫
松虫はチンチロリン、
鈴虫はリーンリーン。
唱歌『虫のこえ』でもそう歌われ、
この鳴き声に疑いを持つ人はいないでしょう。
しかし平安時代には両者の名前が入れ替わっていたそうですから、
鈴虫がチンチロリン、
松虫がリーンリーンだったのです。
千とせとぞ草むらごとに聞ゆなる こや松むしの声にはあるらむ
(拾遺和歌集 賀 平兼盛)
ちとせちとせとあちこちの草むらから聞こえてきます
これこそ(あなたを祝福する)松虫(=現在の鈴虫)の
鳴き声なのでしょう
平兼盛(たいらのかねもり 四十)は
チトセチトセと鳴く虫を松虫(=現在の鈴虫)だろうと言っています。
宴席に招かれた返礼の歌だったため
めでたい「松」と「千歳」を結びつけたのですが、
さすがに少々無理やり感があります。
跡もなき庭のあさぢにむすぼゝれ 露の底なる松虫のこゑ
(新古今和歌集 秋 式子内親王)
人の足跡さえない庭の浅茅から 露の下で草に絡まって鳴く
松虫(=現在の鈴虫)の声がすることよ
「むすぼほる」には「憂鬱になる」とか
「気がふさぐ」といった意味もあるので、
式子内親王(しょくしないしんのう 八十九)の松虫は
浅茅の露の下で悲しげに鳴いていたのでしょう。
陽気な鳴き声ではなかったのです。
松虫という呼び名は
「松籟(しょうらい)」から来ているという説があります。
松に吹く風の音のことで、「籟」は「笛」や「響き」を意味します。
とすればチンチロリンよりリーンリーンのほうが近いですね。
平安時代の呼び名は正しかった
鈴虫にはこのような歌があります。
御狩野になくすゞむしを はしたかの草とりてゆく音かとぞ聞く
(永久百首 秋 源兼昌)
御狩野(みかりの)に鳴く鈴虫(=現在の松虫)の声を
鷂(はしたか)が草むらの鳥を獲って行く音かと思う
兼昌(かねまさ 七十八)の鷹狩の歌です。
鷹狩では鷹が空中の鳥を捕らえるのを「空捕る」、
草の中の鳥を捕らえるのを「草捕る」といいました。
鷹の尾に鈴をつけていたそうですから、
兼昌は虫の声と実際の鈴の音を聴き間違えたことになります。
鈴の音ならばチンチロリンと聞こえて不思議はなく、
チンチロリンと鳴く虫を鈴虫と呼んだのは
正しかったのではないでしょうか。
伊勢(十九)が鈴虫を詠んだこのような歌があります。
いづこにも草の枕をすゞむしは こゝを旅とも思はざらなん
(拾遺和歌集 秋 伊勢)
どこでも草を枕にする鈴虫(=現在の松虫)は
この庭を旅先とも思わないことでしょう
「草枕」は旅寝や野宿のこと。
伊勢は前栽(せんざい=植込み)に鈴虫を放ってこの歌を詠みました。
当時は嵯峨野で虫を捕る「虫選み(むしえらみ)」という遊びがあり、
貴族たちは集めた虫を庭に放ったり、
虫の優劣を競う虫合(むしあわせ)を催したりしていました。
昆虫採集の成果を競い合うようなものですが、
鳴き声を競うのに適した秋の虫はとりわけ身近な存在でした。
虫を愛でる習慣のあった当時の人々が用いた呼び名は
実体に合ったものだったのです。
※バックナンバー【6】参照