続『小倉百人一首』
あらかるた
【102】定家と家隆
謎の歌人評
藤原定家(ふじわらのさだいえ/ていか 九十七)は
その著書『桐火桶(きりひおけ)』で古今の歌人たちの
秀歌と歌人評を書き連ねています。
採り上げた歌人は人麻呂(三)や赤人(四)から
父親の俊成(八十三)、同時代の式子内親王(八十九)、
慈円(九十五)まで、多岐にわたります。
数首の和歌の後に歌人の評を書くスタイルで、
たとえば藤原家隆(いえたか 九十八)の件(くだり)では
次の三首を選んでいます。
思ひ出でよ誰が豫言(かねごと)の末ならむ きのふの雲のあとの山風
(新古今和歌集 恋 家隆朝臣)
思い出してくれ これは誰の約束の結果なのか
昨日の雲が今日は消えて山風が吹いているではないか
(約束がなかったことのようにあなたは冷たいではないか)
おほかたの秋の寝覚の長き夜も 君をぞ祈る身を思ふとて
(新古今和歌集 雑 家隆朝臣)
たいてい秋の長い夜は寝覚めしてしまうものですが
わが君のことを祈るのです わが身の幸いを思うにつけても
さてもなほとはれぬ 秋のゆふは山雲吹く風も嶺に見ゆらむ
(新古今和歌集 恋 家隆朝臣)
それでもなおあなたは来てくれない
秋の夕べのゆうは山の雲を吹き払う風が嶺に見えるでしょう
最初の歌の「かねごと」はかねて言ったこと、約束の言葉を指します。
二番目の歌の「君」は主君。出世した直後に詠まれたものだそうです。
三番目の歌の「ゆふは山」は不詳。福岡県の湯川山が
古くは木綿間山(ゆうまやま)と呼ばれていたそうですが…。
さて、定家はこの三首を並べ、その後に
このように書き記しています。
秋の千草いろいろに花さきまじりて色めかしきに
ふもとの山かぜいかにもあらあらしく吹きおろしたる心地し侍る
(桐火桶)
秋のさまざまな草がそれぞれ花を咲かせて華やかなところに
山風がいかにも荒々しく吹きおろしているような感じだと。
単語の意味はわかるが文章の意味はわからない
典型のような文章です。おそらく
『古今和歌集』の序にある六歌仙の評に倣ったのでしょう。
評価し合っていた名歌人
家隆・定家(かりゅう・ていか)と並び称されていた二人は、
お互いをどのように評価していたのでしょう。
『今物語』はこのようなエピソードを伝えています。
時の摂政が宮内卿家隆を召し、
今の歌人では誰が優れているか、思うところを言えと命じました。
家隆はどなたとも決められませんと拒んだのですが、
立ち去る時に畳紙(たとうがみ)を落としていきました。
摂政が拾って開いてみると、
そこには治部卿定家の歌が書かれていました。
その後摂政は治部卿定家を呼び、同じ質問をしました。
定家もまた答えをしぶり、
家隆の歌を高らかに詠吟しながら退出したというのです。
この話は『十訓抄(じっきんしょう)』など
いくつかの説話集にも採り入れられ、有名だったようです。
真偽はともかく、家隆と定家は『新古今和歌集』の
撰を後鳥羽院(九十九)に任された仲間でもあり、
お互いを高く評価していたと考えられています。