続『小倉百人一首』
あらかるた
【106】晦日はいつも暗い夜
長月問答
『拾遺和歌集』に、
暦にまつわるこのような問答歌があります。
夜昼の数は三十(みそじ)に余らぬを など長月と言ひはじめけん
(拾遺和歌集 雑 参議伊衡)
秋深み恋する人の明かしかね 夜を長月と言ふにやあるらん
(拾遺和歌集 雑 凡河内躬恒)
伊衡(これひら)は長月(=旧暦の九月)について、
夜昼の数はほかの月と同様に三十を超えることがないのに、
なぜ長月と言い始めたのだと問うています。
旧暦の九月は晩秋に当たるので、躬恒(みつね 二十九)は
恋する人が明かしかねるほど夜が長いからだと答えています。
旧暦では大の月が三十日、小の月が二十九日で、
それぞれが六か月ずつありましたから、
長月だけ長いということはありませんでした。
ところで、月の終わりの日を晦日(みそか)と言いますが、
もとは「三十日」と書いて「みそか」と読んでいました。
晦日の「晦(かい)」の字には「暗い」という意味があります。
十五日を過ぎると月は次第に細くなり、ついには見えなくなります。
また「つごもり」も「月籠り」が変化したもので、
毎月最終日は暗い夜だったのです。
大晦日ならではの思い
毎月の晦日にその月を振り返ることはなくても、
師走の晦日である大晦日だけは一年を振り返る特別な日でした。
『後撰和歌集』は藤原兼輔(二十七)と
紀貫之(三十五)とのこのようなやり取りを載せています。
なき人のともにしかへる年ならば 暮れゆく今日は嬉しからまし
(後撰和歌集 哀傷 兼輔朝臣)
恋ふるまに年のくれなば なき人の別れやいとゞ遠くなりなむ
(後撰和歌集 哀傷 貫之)
兼輔はその年、妻に先立たれていました。
明日は年の返る(=新年になる)日だが、
亡き妻も一緒に帰ってくるなら年の暮れの今日もうれしいだろうと。
貫之は、恋しがりながら年が暮れてしまえば
亡き人との別れがいっそう遠いものになってしまうでしょうと、
嘆かぬよう勧めています。
兼輔にとっては悲しみが甦る日でしたが、
大晦日の一般的な感慨は
「もう一年経ってしまったのか」というものでしょう。
春道列樹(はるみちのつらき 三十二)の歌はその典型です。
昨日といひけふとくらしてあすか川 流れて速き月日なりけり
(古今和歌集 冬 春道列樹)
昨日→今日→明日と続けて飛鳥川に掛け、
下の句「流れて速き」を導く序詞としています。
飛鳥川の流れのように月日の過ぎ行くのは速いものだと。
飛鳥川は淵瀬の定まらない川として詠まれることが多いので、
列樹は人の境遇もめまぐるしく変わるという意味も
込めていたのかもしれません。
※旧バックナンバー【177】「つごもりの歌」参照