続『小倉百人一首』
あらかるた
【109】如月の望月
満月の夜の歌
二月十五日の夜、
伊勢大輔(いせのたいふ 六十一)のもとに
慶範(きょうはん)という僧から歌が届けられました。
いかなればこよひの月のさ夜中に 照しもはてゞ入りしなるらん
(後拾遺和歌集 釈教 慶範法師)
返し
よを照す月かくれにしさ夜中は あはれ闇にやみなまどひけん
(後拾遺和歌集 釈教 伊勢大輔)
慶範はどういうわけで今夜の月は
朝まで照らすことなく沈んでしまったのかと問うています。
旧暦の十五日は毎月ほぼ満月にあたり、
朝が来るまで月は出ているはず。
伊勢大輔の返歌は、
夜を照らす月のように世を照らしていたお釈迦さまがお隠れになり、
闇のようになった世に人々は惑ったことでしょうと。
二月十五日は釈迦入滅(にゅうめつ)の日、
平たく言えばお釈迦さまの命日でした。
伊勢の大輔は慶範のクイズのような問いに、
今日はお釈迦さまの命日じゃありませんかと
答えているのです。
もち月の雲がくれけむいにしへの あはれをけふの空に知るかな
(千載和歌集 釈教 恵章法師)
望月が雲隠れした(お釈迦さまが亡くなられた)
昔の哀しみを今日の空にあらためて知ることだ
この歌は山階寺(やましなでら=興福寺の古名)の
涅槃会(ねはんえ)に際して詠まれたもの。
涅槃会は二月十五日に行われる仏教の重要な法会(ほうえ)で、
山階寺のそれはとくに有名だったようです。
春の夜のけぶりにきえし月影の のこるすがたも世をてらしけり
(新勅撰和歌集 釈教 後京極摂政前太政大臣)
春の夜に荼毘(だび)に付(ふ)されたお釈迦さまですが
そのお姿は今でも月のように世を照らしているのでした
藤原良経(よしつね 九十一)もこのように釈迦入滅を詠み、
お釈迦さまを月になぞらえています。
月はお釈迦さま
これらの歌では月をお釈迦さまの例えにしていますが、
仏教ではお釈迦さまの教えを月に例えることもあります。
また心が澄んだ水のように清らかであればそこに月が映り、
自分の中の仏性(ぶっしょう)を見つけられるとも。
仏性は仏になれる素質という意味で、
だれもがその素質を持っているというのです。
鷲の山月を入りぬと見る人は くらきにまよふ心なりけり
(千載和歌集 釈教 円位法師)
霊鷲山(りょうじゅせん)に月が沈んだと思う人の心は
闇に迷っているのと同じだったのだ
霊鷲山は古代インド摩伽陀(マガダ)国の山の名で、
お釈迦さまが説法したと伝えられるところ。
作者円位法師はのちの西行(八十六)です。
お釈迦さまが亡くなったと嘆くのではなく、
煩悩を捨てれば月のようなお釈迦さまに会うことができ、
月のようなその教えに救われるというのでしょう。
西行にはさらに有名な歌がありますね。
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃
(山家集 上)
「花の下」に気をとられがちですが、この歌の
「如月の望月の頃」は釈迦入滅の日を指していたのです。