読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【113】山吹と太田道灌


水辺の山吹

春、桜の散る頃に黄色の花を咲かせる山吹(やまぶき)は、
かつては日本各地の草原、山地に自生していたそうです。
現在、都市部では公園や庭の植栽で見かけるくらいですが、
川や池のほとりを好むらしく、
山裾の小川に沿った群落を見かけることがあります。

山の川沿い、つまり谷に咲く花は
山風にさらされ、散りやすいことでしょう。
和歌にはそれを嘆いたものが多いようです。

よしの川岸の山吹 ふく風にそこの影さへうつろひにけり
(古今和歌集 春 紀貫之)

貫之(つらゆき 三十五)は吉野川のほとりの山吹を詠み、
山吹の「吹」から「吹く風」を導いています。
「そこの影」は水に映った山吹の姿のこと。
当時は水面ではなく水底に物の姿が映ると考えられていました。
水底に映った山吹も花が散って盛りを過ぎてしまったというのです。

山吹の花いろ衣ぬしやたれ 問へどこたえずくちなしにして
(古今和歌集 誹諧 素性法師)

山吹の花の色をした衣の持ち主はだれだろう。
訊いても答えないがそれもそのはず、
梔子(くちなし=口無し)で染めたからだと。

梔子の実は古来黄色の染料として用いられていました。
その鮮やかな黄色が梔子色と呼ばれず山吹色と呼ばれているのは、
昔の人々には山吹の黄色が身近な色だったからでしょう。


無学を恥じた道灌

山吹といえば太田道灌(どうかん)の逸話がよく知られています。
鷹狩をしていた道灌が雨に降られ、
雨具を借りようと民家に立ち寄ります。
応対に出た女性は山吹の一枝を差し出しましたが、
道灌はその意味がわかりませんでした。

女性は『後拾遺和歌集』にある兼明(かねあきら)親王の
歌を暗示して、蓑(みの=雨具)がないことを告げたのでした。

なゝへやへ花は咲けども 山吹のみのひとつだになきぞあやしき
(後拾遺和歌集 雑 中務卿兼明親王)

七重八重に花は咲くけれど
山吹が実の一つさえつけないのは奇妙なことです

この歌には長い詞書があります。
それによると、親王が小倉に隠棲していた頃のある雨の日、
蓑を借りようという人がいたので山吹の枝を折って渡しました。
後日その人が山吹の意味がわからなかったと伝えてきたので、
その返事(かへりごと)として詠んだ歌だというのです。

山吹の八重は実のつかない品種なのだそうですが、
これで蓑がないことを理解せよというのは難しいでしょう。
しかし道灌はこの一件で和歌の知識がないことを恥と思い、
歌道を学ぶようになったといわれています。

ちなみに歌舞伎『歌徳恵山吹(うたのとくめぐみのやまぶき)』は
山吹を渡した女性を道灌に滅ぼされた豊島(てしま)泰経の娘とし、
娘が仇討を謀る話になっています。

もちろん歌舞伎はフィクションですが、
東京練馬の石神井(しゃくじい)公園には
豊島氏の居城だった石神井城の石垣が残っており、
公園の池のほとりには山吹が毎年黄色い花を咲かせています。