続『小倉百人一首』
あらかるた
			【114】牡丹
二十日草の由来
牡丹(ぼたん)について辞書や事典、歳時記では、
  花王(かおう)や花神(かしん)、富貴花(ふうきか)など、
  中国由来の別称を紹介しています。
  中国でいかに尊ばれ、珍重されていたかがわかる名前ですね。
  牧野富太郎博士は初心者向け冊子『植物知識』で、
  春に雄々しく芽が出るから「牡」を、
  中国では赤い花が好まれたから「丹」の字を用いたと
  解説しておられます。
  「牡」は雄(オス)を、「丹」は赤を表します。
  この牡丹が日本にもたらされたのは平安時代なのだそうです。
  日本でも牡丹という中国での通名のほかに深見草(ふかみぐさ)、
  二十日草(はつかぐさ)、名取草(なとりぐさ)などの
  別名が与えられましたが、王や神とは無縁なのが興味深いところです。
  上記『植物知識』には藤原忠通(ただみち 七十六)が
  牡丹を詠んだ歌が載せられています。
    咲きしより散りはつるまで見しほどに 花のもとにて二十日へにけり
    (詞花和歌集 春 関白前太政大臣)
  崇徳院(すとくいん 七十七)に命ぜられて詠んだといい、
  咲き始めてから散り果てるまでを見ていたら
  花の傍らで二十日経ったという、観察記録のような歌。
  牧野博士によると、牡丹が二十日草と呼ばれるようになったのは
  この歌がきっかけなのだそうです。
哀しみの牡丹
理由はわかりませんが、
  忠通の歌以前に牡丹の歌は見当たらず、
  忠通の歌以後も、牡丹はあまり詠まれていません。
  詠まれたとしても別名の深見草ばかり。
    くれなゐの色ふかみ草咲きぬれば をしむ心もあさからぬかな
    (久安百首 夏 参議左中将教長)
    紅(くれない)の牡丹の花が咲いた その色の深さゆえ
    散るのを惜しむ心も浅くないことだ
  藤原教長(のりなが)は「深し/浅し」の対語を用いて
  牡丹の濃い紅色を称賛しています。
  「ふかみ」の「み」は理由、原因を表すので「深いので」の意。
  深見草との掛詞(かけことば)になっています。
  同じ掛詞を用いながらも、
  藤原重家(しげいえ)は趣が異なる歌を詠んでいます。
    形見とて見れば嘆きのふかみぐさ 何なかなかのにほひなるらむ
    (新古今和歌集 哀傷 大宰大弐重家)
    亡き人の形見として見ると嘆きは深くなります
    牡丹はなぜ美しく咲いているのでしょう
  忠通の四男で六条摂政と呼ばれた基実(もとざね)が
  二十四歳の若さで亡くなりました。
  翌年、基実が植えておいた牡丹が花をつけ、
  かつて仕えていた女房がその一枝を重家のもとに届けたのです。
  牡丹がなまじ華やかなばかりに悲しみは深くなってしまう。
  実感のこもった哀傷歌になっていますが、
  それだけ牡丹は悲哀とは無縁に見える花なのです。
