読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【116】夏の夜の時鳥


夏の夜は短い

和歌では夏の夜は短いものとして詠むのが望ましいとされていました。
わざわざ言われなくても短いのですが、
それが夏の夜の本来の姿、性質であり、
夏の夜の本意(ほい)であるとしたのです。

夏の夜はまだよひながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ
(三十六 清原深養父)

夏の夜はまだ宵だと思っているうちに明けてしまったが、
月は雲のどのあたりにいるのだろう。
深養父(ふかやぶ)は夏の夜の本意を生かし、
月が沈まぬうちに明けてしまったと詠んでいます。

この歌を承けて、後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)は
こんなおもしろい歌を詠んでいます。

杜鵑まだよひながら明くる夜の 雲のいづくに鳴きわたるらむ
(正治後度百首 後鳥羽院)

早々に夜が明けてしまったが、杜鵑(ほととぎす)は
雲のどのあたりを鳴きながら飛んでいるのだろうと。
どこにも夏の夜とは書いてありませんが
「宵ながら明くる」のは夏の夜なのです。
また飛びながら鳴くのはほととぎすの本意でもあります。


ほととぎすは一度しか鳴かない

ほととぎすの本意には待っていてもなかなか鳴かない、
鳴いたとしてもひと声だけである、というものもあります。

夏の夜の臥すかとすれば 郭公鳴く一こゑにあくるしのゝめ
(古今和歌集 夏 貫之)

寝ようかとすると郭公(ほととぎす)がひと声鳴いて
東雲(しののめ=薄明)となり、夏の夜は明けてしまうと。

時鳥たゞひとこゑとちぎりけり くるれば明くる夏の夜の月
(続拾遺和歌集 夏 醍醐入道前太政大臣)

時鳥(ほととぎす)はただひと声しか鳴かないと決めたのだ。
暮れたと思えば明けてしまうほど短い夏の夜の月を見ながら、
作者はほととぎすを待っていたのでしょう。

実際ほととぎすがひと声しか鳴かないことはなく、
このような歌もあります。(原文は万葉仮名です)

人不識沼思哉繁杵郭公鳥夏之夜緒霜鳴明濫
(新撰万葉集 巻上 読人不知)

読みは「ヒトシレヌオモヒヤシゲキホトヽギス
ナツノヨヲシモナキアカスラン」で、
悩みでもあるのか、ほととぎすが朝まで鳴きつづけたというのです。
にぎやかに囀(さえず)る鳥ではありませんから、
断続的に長いあいだ鳴いていたのでしょう。

本意というのは共通認識、一種の約束ごとであり、
事実に即しているとは限りません。
本意を生かそうとする歌人と事実を重んじる歌人がいるのは
当然のことなのでしょう。