読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【122】おどろきを詠む


敏行の驚き

秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
(古今和歌集 秋 藤原敏行朝臣)

秋が来たと目にははっきり見えないけれど
風の音を聞いて(秋が来たと)気がつきましたよ

藤原敏行(としゆき 十八)のこの立秋の歌は
秋の訪れを詠んだ代表的な一首としてよく紹介されます。
「おどろく」は「気がつく」と解釈するのが通例。
たしかに仰天するほどのことではないと思いますが、
少しは驚いたんじゃないでしょうか。

古語「おどろかす」は「びっくりさせる」のほかに
「目を覚まさせる」、「注意を向けさせる」、
さらには「不意に訪問する」という意味で用いられていました。
一説によれば、もとは音や光、打撃などの刺激を
不意に与えることを指していたのだとか。

伊勢大輔(いせのたいふ 六十一)は
風の音に目を覚まされた夫婦を詠んでいます。

風の音におどろかれてや 吾妹子が寝覚の床に衣打つらむ
(続後撰和歌集 秋 伊勢大輔)

風の音に起こされたのか 吾妹子(わぎもこ=妻)が
目を覚まして砧(きぬた)を打っているようだ

砧打ちは木槌(きづち)で衣(きぬ)を打って柔らかくし、
艶を出すという作業で、秋から冬にかけての夜なべ仕事でした。
ただ伊勢大輔は伊勢の祭主(さいしゅ=神官の長)だった
大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の娘ですから、
夜なべ仕事には無縁のはず。題を与えられて詠んだのでしょう。


喜びの「おどろき」

藤原公任(きんとう 五十五)は
現代に通じる「おどろく」を詠んでいます。

わが宿の梅のさかりに来る人は おどろくばかり袖ぞにほへる
(後拾遺和歌集 春 前大納言公任)

訪問客の袖に梅の香りが思いのほか沁み込んでいたと
驚くいっぽうで、自邸の梅を自慢しているような気も。

秋の野におく白露をけさ見れば 玉やしけるとおどろかれつゝ
(後撰和歌集 秋 壬生忠岑)

壬生忠岑(みぶのただみね 三十)は
秋の野に置く露が玉(=宝石や真珠)を敷いたようだったと。
初二句を「秋の夜の庭の白露」とする写本もあり、
それによれば翌朝の庭の光景に驚いたことになります。
前夜は暗くてよく見えていなかったのです。

さて、敏行にはもう一首、有名な「おどろかれぬる」があります。
清和天皇の后(きさき)藤原高子(たかいこ)から
大袿(おおうちき)を賜った際の返礼の歌です。

《詞書》
正月一日二条のきさいの宮にて
しろきおほうちきをたまはりて

ふる雪のみのしろ衣うちきつゝ 春きにけりとおどろかれぬる
(後撰和歌集 春 藤原敏行朝臣)

降る雪のように白い大袿を
(雪を防ぐ)蓑(みの)のかわりに着ていますと
(その暖かさに)わが身にも春が来たのだと感動いたしました

袿(うちき)は内着で、狩衣などの外着の下に着るもの。
大袿は祝儀や褒賞として与えるため大きく作られており、
与えられた者は仕立て直して着用しました。
しかし敏行はその場で大袿を羽織り、
蓑の代(しろ=かわり)としたのです。

ちなみに「うちきつゝ」の「つゝ」は継続を表します。
しばらく着ていたら春のように暖かくなったのです。
また忠岑の「おどろかれつゝ」は驚きがつづいていることを示し、
さらに文末に置くことで詠嘆や余情の効果を得ています。
さらっと詠んだように見えてよく考えられていることに驚きます。