続『小倉百人一首』
あらかるた
			【123】秋の気配
忍び寄る秋
 このところ夏は長くなるばかり。
  春と秋は短くなるいっぽうで、
  かつて日本には四季があった、などと
  わたしたちの子孫が学ぶ日が来るかもしれません。
  それはさておき、ふとしたことに
  季節の変わる気配を感じることがありますね。
  次の歌はまさにその気配を詠んだものです。
    夏山のならの葉そよぐ夕暮れは ことしも秋の心地こそすれ
    (後拾遺和歌集 夏 源頼綱朝臣)
  緑濃き夏の山。
  しかし夕暮ともなれば楢(なら)の葉が風にそよぎ、
  今年も秋が近づいたなと思う。
  どんぐりをつけて落葉する楢は季節を感じやすい樹木であり、
  その葉がかすかな音を立てて秋の到来を予告しているのです。
    秋近きけしきの森に鳴く蝉の なみだの露や下葉染むらん
    (新古今和歌集 夏 摂政太政大臣)
  こちらは藤原良経(よしつね 九十一)の歌。
  森に秋の気色(けしき=兆し)を感じ、
  蝉の涙が露となって木々の下葉を紅葉させるのだろうと。
  夏の終わりを蝉が悲しんでいるかのようです。
  当時は露が草木を紅葉させると考えられていました。
  しかしその露が蝉の涙だったというのは
  良経ならではの発想です。
    夏はつるあふぎと秋の白露と いづれかまづは置かむとすらん
    (新古今和歌集 夏 壬生忠岑)
    虫の音もまだ打ちとけぬ草むらに 秋をかねてもむすぶ露かな
    (詞花和歌集 夏 曽祢好忠)
  夏が終わって扇を置くのと草木に露が置くのと、
  どちらが先になるだろうというのが
  壬生忠岑(みぶのただみね 三十)の歌。
  虫の音がまだなじまない(=ほとんど聞こえない)草むらに
  秋が来るのを予期して露が結んでいると詠んだのが
  曾禰好忠(そねのよしただ 四十六)。
  露は秋の到来の判断基準の一つだったようです。
秋を待つ小倉山
 春を待つ歌にくらべて秋を待つ歌がはるかに少ないのは
  不思議な気がします。そんな中、
  大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)は
  秋を待つ小倉山を詠んでいます。
    もみぢせばあかくなりなむ小倉山 秋まつほどの名にこそありけれ
    (後拾遺和歌集 夏 大中臣能宣朝臣)
  小倉山はなぜ秋を待つのでしょう。
  小倉は小暗(おぐら)に通じるので、小暗い小倉山は
  紅葉であかく(=明るく)なる秋を待っているのです。
    夏衣かたへ涼しくなりぬなり 夜やふけぬらむ行合の空
    (新古今和歌集 夏 前大僧正慈円)
  夏の衣の片側が涼しくなったことだ。
  夜が更けて、空の上で夏と秋とが出合っているからだろう。
  慈円(じえん 九十五)は夜の涼しさに
  季節の変わり目を実感しています。
    月の色も秋ちかしとや 小夜ふけてまがきの荻の驚かすらん
    (玉葉和歌集 夏 式子内親王)
  夜更けの月の光が冴えて、籬(まがき=垣根)の荻が
  いつになくくっきり見えたのでしょう。
  その荻が秋が近いと気づかせてくれたのです。
  慈円も式子内親王(しょくしないしんのう 八十九)も
  秋の気配を敏感に感じ取っています。
  五感を研ぎ澄ませば、現代のわたしたちも
  季節の変わり目の風情を感じられるかもしれません。
