続『小倉百人一首』
あらかるた
【124】藤袴
脱ぎ捨てられた藤袴
藤袴(ふじばかま)は秋の七草のひとつ。
しかし『万葉集』の時代には
さほど愛される花ではなかったようです。
憶良(おくら)が詠んでいたのは確かですが
『万葉集』には憶良以外に藤袴を詠んだ歌はなく、
憶良の歌もただ七種の植物を列挙しただけです。
たたえてはおらず特徴に触れてもいないことから、
親しまれてはいなかったと思われるのです。
中国では芳香を楽しむために湯に入れたり
薬の原料に用いたりされ、身近な草花だったとか。
日本では平安時代にようやく藤袴の香りを詠んだ歌が現れます。
なに人かきてぬぎかけしふぢばかま くる秋ごとにのべをにほはす
(古今和歌集 秋 としゆきの朝臣)
どんな人が来て袴を脱いで掛けていったのか
野辺に秋が来るたびに藤袴が香りを漂わせる
やどりせし人のかたみか藤ばかま わすられがたき香ににほひつゝ
(古今和歌集 秋 つらゆき)
泊まっていったあなたが形見に残した香りなのでしょうか
藤袴の忘れがたい香りが漂っています
主しらぬかこそにほへれ 秋のゝにたがぬぎかけしふぢばかまそも
(古今和歌集 秋 そせい)
秋の野に主(ぬし)のわからない香りがしている
それにしてもだれが脱いで掛けていった藤袴なのだろう
藤原敏行(十八)、紀貫之(三十五)と素性法師(二十一)。
いすれも百人一首歌人の作で、『古今和歌集』には
これら三首が並んで載せられています。
貫之の歌は泊まった人が袂(たもと)に藤袴を忍ばせていたと
考えることもできますが、それにしても
どんなきっかけがあってこれほど似た歌が生まれたのか、謎です。
秋風にほころびぬらしふぢばかま つゞりさせてふ蛬なく
(古今和歌集 誹諧 在原棟梁)
秋風に藤袴がほころびた(=咲いた)ようだ
綴り刺せと蛬(きりぎりす)が鳴いている
在原棟梁(ありわらのむねやな)も藤袴を衣服の袴と見なし、
花がほころぶ(=咲く)のと
袴が綻ぶ(=縫い目がほどける)のを掛けています。
きりぎりすの異名が機織虫(はたおりむし)だというのも
意識しているのでしょう。
裁縫する鹿
袴と結びつけた歌が多い中、崇徳院(すとくいん 七十七)は
ひとひねりした歌を詠んでいます。
秋ふかみたそかれ時のふぢばかま にほふは名のる心地こそすれ
(千載和歌集 秋 崇徳院御製)
秋が深まったそのせいで黄昏時の藤袴は見分けがつかないが
匂いがするのは誰そ彼と問われて名のっているような気がするよ
藤袴を擬人化し、「誰(た)そ彼(かれ)」という問いに
匂いで「藤袴です」と答えているようなものだと。
かりにくる人もきよとや 藤ばかま秋の野毎に鹿のたつらん
(金葉和歌集 秋 右兵衛督伊通)
かりに来る人も着なさいというので
秋の野ごとに鹿が藤袴を裁ったのだろう
こちらは藤原伊通(これみち)の歌。
「借りに」来る人のために裁縫して袴を作るなら
ずいぶん親切な鹿だと思いますが、
「狩りに」来る人だったとしたらどうでしょう?
伊通については何事も筋を通さないと気が済まない人物だったとか、
多芸多才なのにそそっかしくて失敗が多かったとか、
話術で人を笑わせるのがうまかったとか、
さまざまな逸話が伝えられています。
この歌はウケ狙いだったかもしれません。