続『小倉百人一首』
あらかるた
			【125】二股の恋
謙徳公とは名ばかり
一条摂政と呼ばれ、謙徳公(けんとくこう)という
  立派な諡(おくりな)もある藤原伊尹(これただ 四十五)は、
  残念ながらその名にふさわしい人物だったとは
  思われていないようです。
  ことに女性関係の乱れはよく知られており、
  相手にされた女性の言葉からは
  伊尹の多情、薄情ぶりが見えてきます。
 
    《詞書》
    一条摂政下臈(げらふ)に侍りける時
    承香殿女御(じょうきゃうでんのにょうご)に侍りける女に
    しのびて物いひ侍りけるに さらになとひそといひて侍りければ
    契りし事ありしかばなどいひつかはしたりければ
    それならむこともありしを 忘れねと言ひしばかりをみゝにとめけむ
    (拾遺和歌集 雑恋 本院侍従)
  伊尹はまだ身分の低い官人だったとき、
  承香殿の女御に仕えていた女房のもとに密かに通っていました。
  この歌は伊尹の足が遠のいたころのものでしょう。
  女がもう訪ねて来ないでと言ったのを盾(たて)に、
  伊尹は、来ないと約束したから行かないのだと正当化してきたのです。
  わたしたちは「それならむ(=それ以外の)こと」も
  あれこれ話したり約束したりしたじゃありませんか。
  忘れてちょうだいと言ったことしか、あなたは憶えてないんですか。
  恨みの歌を詠んだのは本院侍従(ほんいんのじじゅう)です。
弟の恋に割り込み
 伊尹にはのちに関白太政大臣となった
  兼通(かねみち)という弟がありました。
  本院侍従はこの兼通の恋人だったことがあり、
  家集『本院侍従集』は兼通との贈答歌で占められているのですが、
  その中にこのような歌があります。
    《詞書》
    かくてすみ給ふほどにこの女又ひとのぬすみていにければ
    をとこいみじうなげき給ひて
    女あはれと思ひかくなむいひやりける
    世の中を思ふも苦し おもはじと思ふも身にはやまひなりけり
    (本院侍従集)
  恋愛関係が順調に進んで
  男が(女のもとに夫として)通うようになったころ、
  又ひと(=他人)が女を盗んでいったというのです。
  嘆く兼通に侍従が詠んだのが上記の歌で、
  こんなことになってしまった二人の関係を思うのはつらい、
  思うまいと思うのも、わたしにとっては物思いの種なのですと。
  兼通の恋人を盗んだ「又ひと」は伊尹でした。
  兼通はそれを知っていたのでしょうか、
  返歌はこのようなものでした。
    思はずもある世の中の苦しきに まさる病はあらじとぞ思ふ
    (本院侍従集)
    そうでなくとも恋仲とはつらい思いをするものなのに
    これにまさる悩みの種はあるまいと思います
  三角関係はしばらくつづいたらしく、
  侍従が「ふたしへ(=二重)に思へば苦し」と
  二股の恋を嘆いた歌も伝わっています。
  「それならむ」の歌もそのころの作なのでしょう。
