読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【126】あけぼの


あけぼのの歌は『枕草子』以後

『枕草子』冒頭の一節「春はあけぼの」は
多くの人が知っていることでしょう。
あけぼのは東の空がうっすら明るくなってから
日の昇る頃までを指す言葉でした。

清少納言(六十二)に限らず、
当時の人々はまだ暗いうちに起きて活動を開始していました。
官人たちは早朝に出勤して午前中には仕事を終えており、
日没から就寝までの時間が短かったのです。

あけぼののうちに起きているのは珍しくなかったわけですが、
藤原俊成(八十三)が次の歌で詠んだのは
日常のあけぼのとは異なるこのような光景でした。

またや見む交野のみ野のさくらがり 花の雪散る春のあけぼの
(新古今和歌集 春 皇太后宮大夫俊成)

交野(かたの)には皇室の狩場(かりば)がありました。
狩りは冬に行うものですが交野は桜の名所でもあり、
その桜が春の朝まだき、雪のように散っていたのです。
この光景をまたや見む(=再び見ることがあるだろうか)と、
俊成は惜しむ気持ちを歌にしました。

ところで、あけぼのの歌は『枕草子』以前にあまり見られず、
ほとんどが『枕草子』以後に詠まれています。
しかもその大半が春のあけぼのであり、夏や秋、
冬のあけぼのはわずかしかありません。


四季のあけぼの

そんな中、藤原良経(よしつね 九十一)が
夏のあけぼのを詠んだ秀歌を残しています。

昨日までかすみしものを 津の国の難波わたりの夏のあけぼの
(風雅和歌集 夏 後京極摂政前太政大臣)

津の国は摂津(せっつ)の国、難波(なにわ)は
難波江、難波潟とも呼ばれた大阪市付近の海の名です。
昨日までは霞んでいたそのあたりの景色が、
夏の夜がほのぼのと明け初めるとくっきり見えたのです。
春の象徴である霞は消えています。

歌枕の難波江は葦(あし)とともに詠まれることが多いので、
夏を迎えた葦の緑が読み手の脳裏に浮かぶというしかけ。

次は後久我(ごこが)太政大臣とも呼ばれた
源通光(みちてる)の歌です。

あけぼのや川瀬の波の高瀬舟 くだすか人の袖の秋霧
(新古今和歌集 秋 左衛門督通光)

高瀬舟は船底を箱型にして浅瀬の通行を容易にした川舟のこと。
秋のあけぼの、浅瀬の波を分けて行くらしき
高瀬舟の船頭の袖が秋の霧の中にほの見える。
「くだすか」と疑問文にしたのは、舟を下す人物が
はっきりとは見えていないからです。

最後は良経の子、藤原基家(もといえ)の冬のあけぼのを。

ふゆ草のはつ雪けたぬあけぼのを 見せばや人にをかのへのさと
(洞院摂政家百首 冬 基家)

夜の間に降ったのか、
冬枯れの草に初雪が消えずに残っている。
岡辺の人里のあけぼのを誰かに見せたいものだ。

春夏秋冬のあけぼのの歌を比べると
春の歌は『枕草子』の影響下にあるものが多く、
独自性を感じさせる歌は夏、秋、冬に多い傾向があります。
春のあけぼのが凡庸になりがちなのは、
『枕草子』が頭から離れないからかもしれません。