続『小倉百人一首』
あらかるた
【128】赤い土の霊力―天香具山(後)
勝利に導く神のお告げ
神武天皇は東征(とうせい=東方の敵を平定すること)のさなか、
磐余邑(いわれのむら=奈良県桜井市南西部)を目前にして
賊虜(あた=敵)に進路を阻まれました。
天皇が神に祈るとその夜の夢に天神(あまつかみ)が現れ、
このように訓(おし)えたと伝えられます。
天香山(あまのかぐやま)の社の中の土(はに)を取りて
天平瓮(あまのひらか)八十枚(やそち)を造り
幷(あは)せて厳瓮(いつへ)を造りて天神(あまつやしろ)
地祇(くにつやしろ)を敬(ゐやま)ひ祭れ
亦(また)厳呪詛(いつのかしり)をせよ
如此(かくのごとく)せば虜(あた)自づからに
平(む)き伏(したが)ひなむ
(日本書紀巻第三)
天香具山の神社境内の埴(はに=粘土)を採って
平らな皿八十枚と聖なる器(→呪術に用いた)を作って
天の神と地の神を敬い祀れ また神に祈って敵を呪え
そのようにすれば敵は自ずから平伏するであろう
天皇は敵の目を欺くため手下二人を老夫婦に変装させて送り出し、
無事に天香具山の埴を手に入れます。
その後神の教えに従った天皇の軍は勝利を収めるのですが、
注目されるのは、神が天香具山という
敵の支配下にある土地の埴を使えと命じている点です。
埴は粒子が細かい良質の粘土で、赤っぽいのが特徴です。
勝利のためにはまずこの赤い粘土を得る必要があったようです。
『魏志倭人伝』に倭人(=日本人)は
朱丹(しゅたん=赤)を身体に塗っているとあり、
古代の日本人は赤に呪力、霊力を感じていたのでしょう。
香具山は故郷の地
『日本書紀』によれば、大和を支配下に置くために
埴(はに)を産出する天香具山は欠かせない山でした。
また朝廷と朝廷に仕える人々にとって、天香具山は
都が大和から外に移っても重要な山でありつづけました。
わすれ草我が紐につく 香具山の古りにし里を忘れむがため
(万葉集巻第三 334 帥大伴卿)
帥(そち)大伴卿は大伴旅人(おおとものたびと)のこと。
大宰府赴任中に都を懐かしみ、いっそ忘れてしまおうと
下紐(したひも=袴などを締めるひも)に
忘れ草(=藪萱草)をつけたというのです。
奈良とも大和の国とも言わず、香具山のある
古りにし里(=故郷)と詠んだのは、
旅人にとっても香具山が大和を象徴する山だったからでしょう。
風の音も神さびまさる 久方の天の香具山幾世へぬらむ
(続後撰和歌集 雑 後京極摂政太政大臣)
風の音までが古びて神々しい天香具山は
どれほど長い年月を経てきたのだろうと。
藤原良経(よしつね 九十一)は鎌倉時代の歌人ですが、
天香具山を通して古き都に思いを寄せています。