続『小倉百人一首』
あらかるた
【130】一年の罪
地獄絵の屏風
『枕草子』に、一条天皇が中宮定子(ていし)に仕掛けた
このようなたわむれが書きとめられています。
御仏名のまたの日 地獄絵の屏風とりわたして
宮に御覧ぜさせ奉らせ給ふ ゆゆしういみじきことかぎりなし
これ見よ見よとおほせらるれど さらに見侍らじとて
ゆゆしさにうへやにかくれふしぬ
(枕草子第八十一段)
御仏名(おぶつみょう)の法会(ほうえ)の翌日
(帝が中宮の局に)地獄絵の屏風を運んでこさせて
中宮にご覧にならせようとなさる
(地獄絵は)気味が悪く恐ろしいことこの上もない
「これをご覧 これをご覧」とおっしゃるけれど
(宮は)「決して拝見しません」と
気味の悪さに上屋(=控え室)に隠れて寝てしまった
御仏名は仏名会(ぶつみょうえ)のこと。
過去・現在・未来の三世(さんぜ)の仏の名を唱えて懺悔し、
一年の罪を消滅させようという法会です。
宮中で行われ、期間は旧暦十二月十九日からの三日間でした。
地獄絵の屏風は諸仏の画像とともに
仏名会の会場に飾られるもので、
天皇はそれを中宮に無理に見せようとしたのです。
名を聞けば罪が消える
お釈迦さまの次には弥勒(みろく)菩薩が仏になります。
迦葉の前にも弥勒の後にも(予定を含めて)仏がいるので、
過去・現在・未来の仏は大勢いることになります。
またわたしたちがいるのと同じような世界は東西南北、
北東・北西・南東・南西、さらに上と下を含めた十方にあり、
それぞれに仏がいて衆生(しゅじょう=人々)を導いています。
これが十方世界の三世諸仏(さんぜしょぶつ)であり、
仏名会はそれらすべての仏の名を唱える法会なのです。
人わたす三世の仏の名を聞けば むかしの罪もいまや消ゆらむ
(永久百首 冬 京極関白家肥後)
「人わたす」は衆生を悟りの彼岸に渡すこと。
「名を聞けば」とあるように作者は聞いていた側です。
僧たちが交代で一万三千ともいわれる仏名を唱え、
参加者たちは順に焼香などを行います。
おきあかす霜とともにや 今朝はみな冬の夜深き罪も消ぬらむ
(拾遺和歌集 冬 大中臣能宣)
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)は
霜の降りる師走の夜が明けるまで起きていたようです。
冬の夜のように深い罪も
夜が明ければ霜とともに消えるだろうと。
仏名会は承和五年(838年)に元興寺の静安(じょうあん)が始め、
一時は国家行事として全国に広まりました。
しかし鎌倉時代には仏名が三千に減り、
小規模化してついには廃(すた)れてしまいました。
ただ民間の信仰としては残っており、
古式に則った法会を行っている寺院が各地にあります。