続『小倉百人一首』
あらかるた
【133】紫式部と水鶏
戸を叩く鳥
唱歌『夏は来ぬ』にはほととぎすが歌われていますが、
もう一種、くいな(水鶏)という鳥も出てきます。
楝(おうち)ちる川辺の宿の
門(かど)遠く水鶏(くいな)声して
夕月すゞしき夏は来ぬ♪
楝は栴檀(せんだん)の別名。
その薄紫の花が散る五月の末頃、
川辺の家の門から遠いところで
水鶏の鳴き声がしています。
水辺を好み、人家に近づかず、
昼のあいだは鳴かないという水鶏の特徴を
この歌はよくとらえています。
水鶏の鳴き声はキョッキョッ、もしくはコッコッ。
和歌では古来それを戸を叩く音と聞き做してきました。
真木のやの心地こそすれ 柴の戸をいかで水鶏のかくたゝくらむ
(永久百首 夏 源顕仲)
真木(まき)は杉や檜(ひのき)など建材に用いる木のこと。
水鶏が真木の板戸を叩くような声で鳴くので、
自分が真木の屋(=立派な家)に
住んでいる気がするというのです。
実際は柴の戸(=雑木の小枝で作った戸)の
粗末な家だというのになぁと言っているのですが、
作者の顕仲(あきなか)は右大臣の息子です。
真木の屋にしか住んだことがなかったでしょう。
水鶏は道長だった
叩くとて宿の妻戸をあけたれば 人もこずゑの水鶏なりけり
(拾遺和歌集 恋 よみ人知らず)
妻戸(つまど)は両開きの板戸。
待ち人が戸を叩くのだと思って開けてみたら人も来ず、
梢に水鶏が鳴いているのだったと。
このように鳴き声の紛らわしさを詠んだ歌は数えきれず、
その多くが恋の歌です。
『紫式部日記』にこのような歌があります。
夜もすがら水鶏よりけになくなくぞ 真木の戸口にたゝきわびつる
返し
たゞならじとばかりたゝく水鶏ゆゑ あけてはいかにくやしからまし
(紫式部日記)
(昨夜は)一晩中、水鶏以上に泣く泣く真木の戸を叩いて
つらい思いをしましたと、男から歌が届けられました。
式部の返歌は、
ただごとでないかのように戸を叩く水鶏のせいで
開けてしまったら、どんなにがっかりしたことでしょうと、
水鶏の鳴き声の紛らわしさを前提に詠んでいます。
日記によれば戸を叩くのが誰なのかわからず、
恐ろしくて開けられなかったのです。
翌朝の歌で男が誰だったのかわかったはずですが、
式部はその名を伏せています。
しかしこのやり取りを載せる『新勅撰和歌集』は
「夜もすがら」を詠んだのは藤原道長としており、
あの道長が水鶏の鳴き声のようにコツコツ戸を叩きつづけ、
開けてもらえずしょんぼり帰っていったことになります。
式部と道長は『紫式部日記』にも記されているように
日常的に冗談を言い合うほど親しい間柄でした。
戸を叩くのが道長とわかっていて
意地悪をした可能性なきにしもあらず、なのです。