続『小倉百人一首』
あらかるた
			【136】手紙を運ぶ鳥
雁書の由来
北から南へ、南から北へ、群れをなして渡りをする雁。
  その声や姿に詩情を誘われ、古来多くの歌が詠まれてきました。
  「雁」は「がん」とも「かり」とも読みますが、
  和歌ではほとんどが「かり」です。
    秋風に初雁がねぞきこゆなる たがたまづさをかけてきつらむ
    (古今和歌集 秋 紀友則)
  今年初めての雁の声が秋風の中に聞こえている。
  誰の手紙を(首に)かけてきたのだろうと。
    かりがねの紅葉にかけし玉章を 花につけてやもて歸るらむ
    (玉葉和歌集 春 賀茂重保)
  「かりがね」は「雁が音」で本来は鳴き声のことですが、
  重保(しげやす)の歌では雁そのものをかりがねと呼んでいます。
  去年の秋に紅葉にかけておいた玉章(たまずさ)を、
  春になって桜の枝につけて持ち帰ることだろうというのです。
  友則(三十三)や重保が雁が手紙を携えていたと詠んでいるのは
  雁は手紙を運ぶ鳥だったからで、
  「雁書(がんしょ)」という言葉は手紙を表します。
  前漢の時代の中国、昭帝(しょうてい)は
  匈奴(きょうど=北方の遊牧民族)との和睦に成功します。
  しかし匈奴の首長單于(ぜんう)は昭帝の送った使者
  蘇武(そぶ)について、死んだと告げて帰らせませんでした。
  一計を案じた昭帝は、わたしが射落とした雁の脚に
  蘇武の無事を知らせる手紙が結んであったと主張。
  ついに單于は謝罪し、蘇武を帰国させました。
  雁書という言葉はこの故事によるものといわれています。
  嘘をもって嘘に対したという話で
  雁は手紙を運ばなかったのですが、
  手紙、書信を雁書と呼ぶことだけは定着しています。
玉梓の由来
いっぽう「たまずさ」は「玉梓(たまあずさ)」の縮まったもの。
  「玉」は美称で、「梓」は手紙を届ける使者が
  梓の杖を持っていたことに由来します。
    かへる雁西へ行きせば たまづさに思ふ事をば書きつけてまし
    (詞花和歌集 雑 沙弥蓮寂)
  出家して間もない蓮寂(れんじゃく)は、
  帰る雁は北に向かうものだけれど、西に行くのであれば
  思うことを手紙に書いて持たせただろうと。
  西方浄土(さいほうじょうど=阿弥陀仏の極楽)に
  往生したいという願いをしたためるというのでしょう。
    薄墨にかく玉梓と見ゆるかな 霞める空にかへる雁がね
    (後拾遺和歌集 春 津守国基)
  春の霞んだ空を帰ってゆく雁の群れ。
  それが薄墨紙(うすずみがみ)に書いた手紙のようだと。
  薄墨紙は古代の再生紙で薄い灰色をしており、
  漉きむらもあったそうです。
  津守国基(つもりのくにもと)は住吉の神主。
  春霞の夜空は薄墨紙に似ており、
  連なって飛ぶ雁の群れは連綿体で書かれた文字に見えたのです。
  雁を文字に見立てた例はありますが、
  空を紙に見立てたのは国基だけかもしれません。
