読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【138】紫式部と清少納言


清少納言の香炉峰

清少納言こそしたり顔にいみじうはべりける人
さばかりさかしだち真名書き散らしてはべるほども
よく見ればまだいと足らぬことおほかり

これは『紫式部日記』に書かれた有名な一節。
したり顔は今でいうドヤ顔のことで、
清少納言はいかにも賢そうに真名(まな=漢字)を
書き散らすけれど、まだ未熟な点が多いというのです。

『枕草子』には自分が漢籍(=中国の書物)に
通じていることを自慢げに書いた箇所があり、
中でも「香炉峰(こうろほう)の雪」の件(くだり)は
よく知られています。

雪の積もったある日、女房たちが火鉢を囲んでいるところに
主人である中宮定子(ていし)が現れ、清少納言に
香炉峰の雪はどんなようすかと声を掛けました。

香炉峰は中国にある山で、
景勝地廬山(ろざん)を形成する峰々の一つです。
見えるはずはないのですが、清少納言は定子の意を察して
簾(すだれ)を高く上げてさしあげた*というのです。

 定子の謎かけのような言葉は
白居易(はくきょい=白楽天)の詩を引用したものでした。

遺愛寺鐘欹枕聴 遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き
香炉峰雪撥簾看 香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看る

白居易は左遷されていた時期に香炉峰の北麓、
遺愛寺に近い草庵に住んでいました。
寺の鐘が聞こえても枕をちょっと持ち上げるだけ、
香炉峰の雪も簾を撥ね上げて室内から見るだけの
日々を送っているという内容。

『和漢朗詠集』に採られるほどよく知られた一節であり、
漢籍に親しんでいた定子と清少納言には
なじみのものだったのでしょう。

*旧バックナンバー【14】才女清少納言


紫式部の香炉峰

『枕草子』では中宮定子が簾を上げさせていますが、
『源氏物語』では光源氏が簾を上げさせています。

「朝顔」の巻の後半、源氏は冬の月と雪を愛で、
「花紅葉のさかりよりも冬の夜のすめる月に
雪の光りあひたる空こそ(中略)おもしろさも
あはれさも残らぬ折なれ」と言って
「御簾巻き上げさせ」ているのです。

源氏の言葉は清少納言の父、
清原元輔の次の歌によく似ています。

いざかくてをり明かしてん 冬の月春の花にも劣らざりけり
(拾遺和歌集 雑秋 清原元輔)

さあこうやって夜を明かそうじゃないか
冬の月は春の花にも劣らないのだったよ

紫式部は源氏の口を借りて元輔の美意識への
共感を示したと思われますが、
取って付けたように簾を上げさせています。
式部も白居易の詩文集『白氏文集』に親しんでいましたから、
連想して書いてしまったのかもしれません。

あるいは自分が『枕草子』を読んでいたことを示したか、
父親をほめた後で娘のしたり顔を読者に
思い起こさせたかったのか、
意図をあれこれ考えてしまいますね。