読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【140】幻の勅撰


消えた第七勅撰

藤原顕輔(あきすけ 七十九)が六番目の勅撰集
『詞花(しか)和歌集』を完成させた二十年ほど後、
その息子清輔(きよすけ 八十四)は七番目の勅撰集となるべき
『続詞花(しょくしか)和歌集』の編纂を進めていました。

二条天皇(在位1158-1165)の下命によるものでしたが、
完成を目前に天皇は急逝。
そのためこの撰集は勅撰として世に出ることはなく、
清輔による私撰和歌集という扱いになっています。

『新古今和歌集』などそれ以後の勅撰集が
『続詞花和歌集』から数首の歌を採っているものの、
歌集じたいはほとんど日の目を見なかったといえるでしょう。

顕輔や清輔の六条家(ろくじょうけ)*は
当時の歌壇を牽引していました。
しかし『続詞花和歌集』に替わる七番目の勅撰
『千載和歌集』はライバル御子左家(みこひだりけ)の
藤原俊成(八十三)が撰者を務めることに。

六条家は主導権を奪われただけでなく
保守的とされた歌風が時代の好みに合わなくなり、
『続詞花和歌集』も忘れられていきました。

*旧バックナンバー【156】参照


拾われなかった歌たち

以後の勅撰に採られなかった歌にも
捨ておくには惜しい作品が数多くあります。

なる瀧の岩まの氷いかならし はるのはつかぜ夜半に吹くなり
(続詞花和歌集 春 曾禰好忠)

鳴滝(=御室川上流)の岩間の氷はどうなっているだろう。
春の初風が夜中に吹いている。

その季節に最初に吹く風を初風と呼びますから、
この場合は立春の風、もしくは元日の風でしょう。
和歌の約束ごとでは氷を解かす風なので、
好忠(よしただ 四十六)は
かつて見た鳴滝の岩間の氷を想起したのです。

見ぬときは思ひだにやる佐保山の 紅葉の風にけふや暮らさん
(続詞花和歌集 秋 大中臣能宣朝臣)

見られないときはしきりに佐保山の紅葉を思うものだが、
今日わたしはその佐保山にいるのだ。
紅葉を吹き抜ける風の中、日が暮れるまで過ごそうではないかと、
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)は楽しげです。

雲はみな峯のあらしにはらはせて さやけく月の澄のぼるかな
(続詞花和歌集 秋 御製)

作者名に御製(ぎょせい)とありますから天皇の作。
邪魔な雲を峰の嵐に吹き払わせて
くっきり澄んだ月が高く昇っているというのです。

二条天皇は後白河天皇の譲位を受けて十六歳で即位しましたが、
平治の乱に巻き込まれて幽閉されたり、
院政を敷きたい上皇に側近を失脚させられたり、
思うに任せぬ生涯を送り、二十三歳で亡くなっています。

月はさやけく澄み昇ることができませんでした。
どのような状況で詠まれた歌なのかわかりませんが、
生涯を知ると痛切な思いを感じてしまいます。